東谷豪紀

あずまやこうきと読みます。 演劇を作っています。

東谷豪紀

あずまやこうきと読みます。 演劇を作っています。

最近の記事

絶対は絶対に無い的な言葉の呪い

 言葉を信じてはいないけれど、言葉を侮っているわけではない。言葉は意味があるから無力で、意味があるから強烈なんだと思っている。言霊と言うように、味方につければ強力な武器であるが、必ずしも思い通りの働きは期待できない。  「この作品のメッセージはなんですか」と言う文言が大嫌いだ。作家は言葉の意味で形作られるような主題で作品なんて作っていない。と、僕は思う。もっと曖昧で、ぼんやりとした、形のないものを目指しているはず。それをどう言葉にするのかは、観た人の役割であるはず。そんな疲

    • (例えば)

      例えば、恋人が鼻くそを食う人だったとして、それに気がついても好きでいられたなら、それが愛だと僕は信じている。 その事をどう伝えるかに苦しむ事を僕は表現と呼びたい。あくまで僕が呼びたいというだけ。

      • 感覚的な欲求に根拠を見出す理論武装をして戦って、そして逃げるように演劇を作ることにした

        お腹が空いた、食べたい。これは感覚的な欲求。 なぜお腹が空いたのか、朝ごはんを食べなかった、昨夜の晩ごはんが腹持ちの悪い献立だった、ここに来るまでに走ってきたから、さっきまで緊張してたから、これが理論武装。 高校から映画や映像の事を考え始めて、大学は映画専攻を選んだ。その過程の中で僕は映画に向いていないという事がよくわかり、アウトプットが演劇に移り変わっていった。これがどれだけ変な事なのか、あるいは普通の事なのか、それを推し量るには、僕はあまりに世界を知らない。 僕は感覚

        • いい奴はだいたい言葉でできてて嫌な感じ!!

          いい感じの奴にいい感じの言葉で心配される。お、いい奴じゃんって思いそうになるが、そいつが後輩をバックヤードで蹴っている事を僕は知っている。バイト先変えたい。「ウクライナ行きてぇ」とか言ってるサバゲーやってる奴とかいるし、最悪。 僕はあまり言葉にしない。自分ではそう思っていなかったけれど、外から見るとどうやらそうみたい。僕は時間が欲しくて、大事にしているからだ。言葉で伝わることは言葉でしか無い。それ以上の意味を持たない。言葉以上の意味を読もうとする人が受け取れば越えられるかも

          愛を描くときにキスシーンを置いてしまうつまらなさ

          みんなは何を見に映画館に、劇場に、Netflixに行くのだろうか。媒体が何にしろ、時間によって語られる物語に何を見てるのだろう。 強引に括ってしまえば、「感動」するために見てるのだろう。ここでの感動は泣くことではない。もっと心の深い階層に杭を打ち付けられることである。僕はある演劇を見た時、心拍と体温が上がり、最後の暗転の時に鼻血を出した事がある。きっと「感動」とはそういうことだと思う。「泣けた」であるとか、「笑えた」であるとか、心の表層の言葉で形容できる感情には収まらない。

          愛を描くときにキスシーンを置いてしまうつまらなさ

          自身の未踏に到達するためにあるスペースシャトルのブースター切り離し

          ロケットは宇宙に到達するためにその過程で部品を切り離しながら飛んでいく。空になった燃料タンクを切り離す事で機体を軽くして推進力を増す。それが切り離し。スペースシャトルもその切り離しを行なって宇宙に到達し、未踏の空にISSという基地を築いた。 僕たちはその先の未踏に足を踏み入れていかなくてはならない。そのためには2回のブースター切り離しでは足りない。どこかで再補充をして飛び立ち、また切り離しを行はなくてはならない。 切り離した部品がどうなるのかも考えなくてはならない。地球の

          自身の未踏に到達するためにあるスペースシャトルのブースター切り離し

          ヒカキンさん

          僕はYouTuberのHIKAKINをヒカキンと呼ぶ。呼ぶと言っても、友達との会話でヒカキンが出てくる時にヒカキンと呼称する事で、実際にあの人に向かってヒカキンと呼びかけるわけではない。 僕のよく見るYouTuberは皆揃ってヒカキン"さん"と呼ぶ。そりゃそうだ。登録者1000万人を誇り、YouTube黎明期から活動を続け、日本においてYouTuberという居場所を作った人物だ。もしこの先時間が経って、YouTube史が研究されるような事になれば、彼は偉人だろう。でも僕はヒ

          ヒカキンさん