不器用さと審美眼 その3
前回の続き〜それは、俺は「常連だぜぇへへん」ではなく、
あっ自分の口に出していない純情な感情が伝わっているという嬉しさだった。
今日はそんな話をしたい。
話をしたいといいながら、文章が長くなってしまったので、その3になった。
さて、中、高校生の頃の僕はとてつもないセンスだった。
大真面目にチャルメラと書いていたTシャツを着ていたし。
スウェットはダボダボで自分はエミネムだと思い込んでいた。スリムシェディボーイ。
LAとかいてあるメッキのブリンブリンをつけて秋葉原に買い物しに行っていたし
後楽園ホールでMMAもみながら声優のライブにも参加していた。
リサイクルショップに言ってはよくわからん服を買ったりしていた。
そんな僕も、ニューエラキャップに対する異常な愛情からも脱却し
今の自分が好きになってきたのは、何を隠そう福島に来てからだった。
音楽もそう、服も、カルチャーもそうだ。
それは、お店お店で自然と身についてきたところも絶対にあるはずで
”誰と何を比べて”とかそんな話ではなく、自分が好きかそうでないかの話というのが大前提として
選ぶ楽しさ、愛でる楽しさ、使う楽しさなども含め
こういった福島のお店達が僕の審美眼を磨いてくれたのだなと思う。
そして、30代にもなりより、強く思ったことがある。
もっと磨きたい!と
段々こんな思春期みたいな僕も成熟してきて、年齢に見合わない物も出てきた。
それに、一番何を思うかというと、美しい物を残しておくと言うセンスが欠落していると言うことだった。
というのは
先ほどビッグマウスに審美眼だの螺旋眼だの言っていたが、壊滅的に写真を撮るセンスが無いのだ。
SNSも含めて発信することが多くなってきても僕の写真はどこかくだらないやつを引用したりモノクロにしているだけだ。
また或る尊敬しているお店のオーナーさんと話す機会があり
そのひとは、インテリアも着こなしも、良いなと思ったやつはまとめていたり
寝る間際まで、調べたり、考えたりしていると笑いながら話していた。
楽しむことこそが正解なんだ。
楽しみながら、良い物好きな物に触れながらより囲まれていきたいし
豊かさを感じて行きたい。
小さい秋×3を見つけれるような男に俺はなる。