初めての厄年、雪の中で5時間電車に閉じ込められた話 by マコ
初めまして。みなみんの友人、マコと申します。
京都が好きすぎて、大阪で暮らしながら京都市内の企業に勤めています。今回、アドベントカレンダーに参加すると決めたものの、noteのアカウントを持っていないので(正確には、アカウントを数回作ったけど続かなかったので)、みなみんのnoteに載せてもらうことにしました。どうぞよろしくお願いします!
2023年は、立ち往生ばかりしていた。
部署異動、体調不良による引きこもり、突然の入院と手術……数カ月おきに発生する立往生。進むことも戻ることもできず、苛立ちと焦りを募らせた時もあったけれど、今はすべての責任を厄年になすりつけることでなんとかやり過ごしている。今回のアドベントカレンダーでは、私の身に降りかかった立ち往生の中でも一番鮮烈に記憶に残っている出来事を紹介したい。
時は、2023年1月24日の昼にさかのぼる。
京都市内に昼過ぎから降っていた雪により、定時より早めに帰宅することが許された。繁忙期だったこともあり、私が職場を出たのは16時頃。ちょっと遠回りして雪の中にそびえる寺社仏閣でも眺めながら帰ろうかなぁ~なんてのんきなことを思っていたけど、外に出た瞬間にそんな考えも吹き飛んだ。猛吹雪で10m先も見えない。京都駅に近づくことさえ不可能に思えた。
17時頃に凍えながら京都駅にたどり着いたものの、人という人が押し寄せて改札すら通れなくなっていた。2022年10月に韓国で起きた雑踏事故の影響だろうか、ホームに入場制限がかかっていたのだ。その時点で迂回する別のルートで帰るか迷ったが、ついつい京都駅に留まることを選んでしまった。数時間後にその決断を何回も後悔することになるとは。鞄に入れていたカロリーメイトをもぐもぐ食べながら待機していたこの時の私はまだ知らない。
私が乗車できたのは、その1時間後。
吹雪の中をのっそのっそ入ってきた電車は、巨大な雪男のようなおどろおどろしい雰囲気を醸し出している。ライトの上には10cmを超える雪が積もっていた。短い乗車時間に人という人がぎゅうぎゅうに押し寄せて、私は端の4人シートの背もたれ付近に追いやられた。
ぎいぃ、ぎいぃ。
電車は悲鳴のような音を上げながら、ゆっくりゆっくり進んでいく。外の風景は吹雪でまったく見えなかったが、ひとまず電車に乗れた安堵が凍てついた心を溶かしていく。のんきにTwitterを眺めていたら、前を行く電車が立往生しているというつぶやきが流れてきた。あれまぁ、大変と思っていたら、私が乗っていた電車も桂川駅の手前で怪しい音を立てながらスピードを落としていく。もはや、歩いた方が速いくらいだ。やがて車内アナウンスで雪により線路の分岐器が故障し、復帰の目途が立つまでしばらく待機することが伝えられた。一瞬、車内が騒然としたが、その時は「1時間もしたら動くっしょ」という気楽な空気が流れていたような気がする。
おかしいなぁ…と思い出したのは、
電車に乗って2時間、停車して1時間半くらい経った頃だろうか。一向に運転再開のアナウンスはなく、吹雪はどんどん勢いを増していく。トイレに行きたくて、人ごみの間をなんとかくぐりぬけながら移動する人も出てきた。
私はひたすらSNSを眺めていたが、昨晩充電をさぼったこともあってスマホのバッテリーが30%を切ってしまった。その代わりに週末の予定や仕事のことをつらつら考えていてやり過ごそうとしたが、すぐ近くに座っているサラリーマン2人の会話が神経を削っていく。
「これは賠償金いくらもらえるんやろうなぁ」
「タクシー代や宿泊費は出るんかなぁ」
会話はおおむねこの2つをループしながら車内に響いていた。別の車両では乗客同士が順番に席を譲り合っていたようだが、私のいた車両ではそんな動きはなく、次第に足腰が痛くなっていく。エアコンにより換気は行われていたはずだが、それでもなんだか息苦しくなっていった。
すると、「現在、降車の確認を行っています」とのアナウンスが!
やった!!桂川駅から少し歩けば、阪急の丹波駅から大阪方面に帰れる!!
そんな期待に胸を膨らませたものの、なかなか次のアナウンスは流れない。持っていた飲み物も尽き、時間をつぶす手段もなくなってきた。どうしよう。年明けに久しぶりに会った友人に「相変わらず、何を言ってるか分からなくて安心するわwww」と言われて購入した、『あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫) 文庫 – 2006』が鞄の中に入っていたが、心身ともに疲れ切った状態で読む気になれなかった。(この本自体はとても面白いので、会話に苦手意識のある方は一読することをおすすめします。)
それならば、30年以上磨き上げてきた妄想に頼るしかない。
まずは、車内広告を眺めてその制作ストーリーを妄想してみる。1分で飽きた。
次に外の吹雪を眺めて、「夜の底が白くなった……」としみじみしてみる。10秒で飽きた。
帰りたい。つらい。帰りたい。
「降車の確認をしておりましたが、本部からまだ降ろせないという回答がきました」。
再び車内アナウンスが流れたのはその時だ。本部に色々かけあってくれたのだろうか、車掌さんの声には悲痛な想いがこもっている。車内ではざわめきが起こり、座っているサラリーマンを中心に抗議の声が上がる。それでも私たちの力ではどうしようもない。頼むから、黙ってくれと言いたくなったが、彼らに喧嘩を打って体力を削ぐことも無駄に思えた。腰が限界を迎えて、椅子の背もたれに寄りかかる。
すると我慢の限界を超えたのか、ドアをけったり叫んだりと、異常行動に出る人が発生した。阿鼻叫喚とはまさにこのこと。追いつめられた人間の行動に恐怖を超えて、虚しさを感じた。
「途中下車をしたら家においでよ」
向日町に住む友人からLINEが届いたのは、意識が遠のき始めた頃だ。
福音だ。吉報だ。グッドニュースだ!!友人からの励ましメッセージで生きる力が湧いてくる。そしてなぜか電車がのっそりのっそり動き出し、向日駅で途中下車できることになったとアナウンスが流れた。
向日町駅についたが、ドアをすぐに開けられないため、しばらく待機することになった。すると、1mほど離れたところで若い女性がふっと糸が切れたように倒れた。過呼吸だろうか、しんどそうに肩を上下させている。近寄ることができなかったが、心配になって状況を眺める。外にレスキューがかけつけたが、ドアがまだ開かないのですぐに救出できない。ずると、ずっと座って文句を垂れていたサラリーマン2人が立ち上がって、緊急ボタンを押したり、窓を殴ったりし始めた。挙句の果てに、レスキューに向かって窓越しに「殺すぞ!!!!」と叫んだ時には、言葉を失ってしまった。
ようやくドアが開いて、レスキューが車内に入ってきた。ドアの隙間から吹雪が入ってきて、あまりの寒さにぶるっと奮える。レスキューが人ごみで女性になかなか近づけない中、トイレに行こうとする年配の男性が女性のすぐそばを無理やり通ろうとする。緊迫した状況に気づかないのか、うずくまっている彼女を蹴りそうな勢いだ。誰かが「止まってください」と声をかけたが、男性は勢いを止めようとしない。どうしよう。
「そこをどいてください!道をあけてください!」
5時間押さえつけていた我慢という我慢が爆発した自分の怒鳴り声に自分でもびっくりしていたら、男性も止まってくれた。
女性はなんとか搬送されて、他の乗客も降りられるようになった。他の車両からも急病人が運び出されている。私も人の流れに乗って降りて階段を下ろうとしたら、若い女性が下車できた安堵からか、泣き出す様子が遠くに見えた。
なんとか駅から出ることはできたが、車内で起こったさまざまな出来事に混乱してしばらく放心してしまう。ロータリーに救急車と消防車が何台も止まっているのを見て、大きな事態に巻き込まれていたことを実感する。とりあえず…助かったみたい。大きな安堵に包まれながら友人宅に向けて歩き出すも、すぐに不安にさいなまれる。何回も通ったことがある道なのに、雪が積もりすぎて景色が様変わりしていたのである。吹雪でまともに歩くこともできない。まばたきをするとすぐに雪が目の中に入ってきた。髪の毛やコートにも雪がつもっていく。
なんとか友人宅についた頃には23時をとうに過ぎていた。
会社を出てから7時間近く経っていたことになる。
「お疲れー!大変だったね」と笑顔で迎えてくれた友人の顔を見て、涙が溢れて止まらなくなった。居間に通されてしばらく放心していたら、うどんを作ってくれた。温かい湯気に心がほどけてさらに涙が止まらなくなった。優しいお出汁が冷えきった五臓六腑にしみわたる。車内でのできごとをとめどなく話すと、友人は優しく「うんうん」と聞いてくれた。そしてまた涙が出た。
お風呂に入って寝床につく。頭の中で車内での出来事がフラッシュバックしてなかなか寝られない。Twitterやネットニュースを眺めて、自分がどんな状況にあったのか改めて確認する。その日はJR京都線や湖西線などで20本近くの電車が止まり、他の路線を含めると7,000人以上が車内に閉じ込められたそうだ。中には小さな駅で途中下車を余儀なくされ、雪の中で夜を越している人もいるという。すでに温かいお布団にくるまっている自分は恵まれているのかもしれない……と考えているうちにいつの間にか眠りに落ちた。
翌朝、定時通りに出社する気持ちになれず、午前休を取ってゆっくり帰宅することにした。友人が作ってくれた朝食を食べながらぼーっテレビを見ていたら、歌手のMISIAが活動25周年を迎えたというニュースが流れた。彼女の頭にはトレードマークのターバンが巻かれている。すると、番組のスタジオでMISIAが『アイノカタチ』を歌い始めた。懐かしいな…と思いながら耳を傾けていたら、MISIAのファンというわけでもないのにまた涙が出てくる。前日のショックで情緒がおかしくなったのだろうか。どうしよう。戸惑いながらもMISIAの歌声に心がほぐされていく。MISIA25周年おめでとう。あなたの歌にとても救われました。これからもかげながら応援しています。
私の2023年初めての立往生はこれで終わりだ。
しかし、冒頭でも触れたとおり、その後もさまざまな立ち往生に見舞われていく。つい先日、体調不良で病院に行って、即入院&手術を受けることになった時にはさすがに驚いた。昔から小心者ですぐにパニック状態になる癖があるから、手術の同意書にサインをしながら泣くかと思ったけど、自分でも意外と冷静に対応できた(気がする)。
さまざまな立ち往生を経てメンタルが強くなったわけでも、肝が据わったわけでもない。では、どうなったのか。入院中にふり返ってみた時に、心の中では相変わらず自分Aが突然の事態に慌てふためくが、自分Bが「びっくりしたよね、つらいよね」と慰めることで、なんとか取り乱さずに済んでいたことに気づいた。自分で自分の扱いが分かってコントロールできるようになった、というか宥められるようになったことが今年の成果なのかもしれない。
2023年は副業としてライティングの案件を受けたり、フィルムカメラの教室に通い始めたりと、新しいことに挑戦した一年でもあった。療養中の今はそれらが立ち往生しているのだが、5時間閉じ込められた末に電車が動き出したように、いつか再始動できる時がくるかもしれない。そう信じて、残り2週間となった厄年をやり過ごそうと思う。
※写真はすべてイメージです(引用元:写真AC)
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