アンスクーリングを取り入れてるホームスクーラーさんが日常を綴ります📕 こども主体がアンスクーリング❤︎
2歳差の子どもが二人。ただそれだけで、成長差や考え方の違い、性別からくる趣向の違いが顕著で、「私にはわからないけど、あなたはそうなのね」っと受け止めねばならない場面は多い。 多動がおしゃべりに出てた娘さん、今はそれもすこーし落ち着いてきてる。 動きに出る息子君。今まさに動かずにはおれない!真っ盛り。 低気圧でやられている私はそれが辛いので、それだけ伝えて終了。 辛いのは私、動きたいのは彼 家庭ですら、様々な大人子どもがいて、皆それぞれの考え?で成り立って。これを学校
一緒にいることが苦痛。少しでも、自分だけの時間持ちたい。子どもに対して何故こう感じるのか。 自分自身が、親と良好な関係が築けなかったか、或いは虐待を受けていたから。若しくは、子ども以外を優先せねばならない事情があるのか。 それを今も続けている。若しくは別の理由があるのかな。 機能不全家庭・AC・共依存・自己肯定感・レジリエンス・育児方法とその歴史・教育の歴史ets・・・ これらを学ぶきっかけを与えてくれたのも、子どもたちでした。 教育って、教えて育つ。ではなくって、
大人のゲームの遊び方は、制作者の準備したシステムを使って、定められた目標をこなす。失敗(負け)結果であれば、勝てるように工夫する。 一方子どもたちは、制作者の準備したシステムを使って独自の楽しみ方を模索する。勝ち負けにこだわらない遊び方もある。時に、YouTube動画をお手本にしたり、アイテムを使ったごっこ遊び。 ゲームの扱い方が根本的に違う。 ゲームは、世界感を子どもたちに提供してくれるから、現実世界でマイクラごっこが成り立つ。性格設定のされていない、姿だけのキャラを
思い立ったらなんでもごっこ遊び。1年ぶりぐらいに市販の教科書ワーク目の前に鉛筆握りだして、飽きるまで解き続ける姉10歳。 基本的な家での過ごし方は→彼らの1日 対抗意識でも燃やしてるのか、向かいで同じくドリル解きだす弟8歳。 きっと学校ごっこか、天才ごっこの類。 彼らにとって、狭い家であっても何にでもなれる。時には料理人、ウェートレスになることも。 学校の決められた教科以上のきっかけが、家の中に溢れてる。 だから、指示を出すことなんてしない。それらの遊びに水を差す
姉→起床AM2:00~スプラトゥーンやYouTube動画、気が向けばアメリカンマフィンやフレンチトースト作り。今は弟とマイクラで社長になりきってる?昼夜逆転ターンを繰り返してます。夜は静かで集中しやすいのだろうな。 弟→自費購入した500円の画面割れスマホガン見。買い物帰宅後姉とマイクラ、追い詰められる社員役(´・ω・`) 夜しっかり寝て、朝すがすがしく起きてくるも常々通信機器の恩恵受けてる。慣れない場所や通信機器利用できないと、不快な感情を行動化してまう。 7月が始ま
「親」とは、私にとって子を生んだ(出会った)瞬間から、育つものと思ってる。 だから、子を引っ張るのも押すのもおこがましいw 知ってる事は伝えられるけど、別視点を教えてくれるのはもっぱら他者である子どもたちと夫。 一般的に言われてる「親」って、何様。人間だし、動物だよね。
ホームスクール・ホームスクーラーではあるのだけど、学校の授業スタイルや教科書ノートとは無縁です。 人間が吐いた息は、植物が吸うんだよね。 カラスの雛を見つけたよ。威嚇する親鳥が見つからなかった!カラスの育児放棄? 生活してるだけで、気付く疑問や興味全てが勉強です。 赤ちゃんから、少し大きくなった時に連発する「なんで?」を大切にする。 日本の学校では、この疑問や興味を持ち続けることが非常に難しい。親子で如実に感じてます。
我が子が幼稚園に行かねばならない理由ってなんだろう? そこから始まった園・学校利用しない生き方。全ては子からの問いかけをきっかけに、親である私自身の自問自答から始まった気がします。