カントリーマンラジオ を聞いてみて
ポッドキャストを聞いて感じだ事を記すノートなので、今日はカントリーマンラジオというポッドキャストのある回について思った事を書いてみたいと思う。
カントリーマンラジオは、つい最近知って聞いてみたのだけど、とてもよかった。
なんというか、映画トレインスポッティングみたいな、漫画のアフロ田中みたいな、田舎で野郎どもがわいわい楽しそうにやっている感が溢れている番組。言い方があまり良くなかったかもしれない。とにかく、私はこの番組が結構気に入った。
ちなみに私は52歳のおばさんで、恐らく30代の彼らと殆ど何の共通点もないんだけど、このワイワイ感はとっても好きです。
この番組のメインパーソナリティは青柳さんという方で、コテンラジオを聞いている方は皆さんご存知だと思う。心に残ったのは、その青柳さんのお父さんと猫のエピソード。
猫が大嫌いと言いつつ、死んだ猫をきちんと埋葬し、口悪く罵りながらも涙する。というお話で、なんとも言えない余韻が残る。
その番組の中でも、それを聞いたメンバーの方が色んなことを感じてそれぞれの思いを口にするんだけど、その中に、いや、そんないい感じのことではなくて、ただ猫がやっぱり嫌いなだけなんじゃないかと言うゲストの意見もあったりして、なんとも味わい深い回だった。
私が感じたのは、こういうおじさん、ちょっと前はたくさんいたなぁと言うこと。
すごく口が悪いんだけど、ほんとに言葉通り思っているのかといえば必ずしもそうではない時もある様で、ややこしいといえばややこしい。
古い時代の人にこう言う不器用な物言いしかできない男の人、たくさんいたように思う。
私の父もそうだったし、私の夫もその傾向ある。
今の若い男の人は絶対もっと優しい言い方する。
なんでも言い方である。
優しい言い方の方がいいに決まってる。
その方が心地良い。周りは和む。
私も昔父の言い方に、なんでそういう言い方するかなと反抗心を抱いたものだし、今も夫の雑な発言にイライラすることが多い。
現代では厳しく糾弾されかねないものの言い方だけど、かつてはこういうおじさんばかりで、世の中の女の人たちはハイハイって言いながらこういうおじさんとうまいこと付き合ってきた。すごい度量だった。
私の祖父は決して悪い人ではなくいいおじいちゃんだったけど、祖母に何かして欲しいときは、大声で呼びつけて、手をパンパンと叩いていた。祖父は大柄で太っていたので自分が動くのが面倒くさいのもあったけど、池の鯉でも呼ぶようにパンパン手を叩いて、おばあちゃんも、はーいとおおきな声で返事して、ブツブツ言いながら駆けつけていた。おばあちゃんも太ってたのに。もうおじさんになった弟が、今の時代では考えられないよねとしみじみ言ってたことがあった。
今となっては、そういう男の人は生きづらい時代になったのではと思う。
女の人達が、そういう態度をあからさまに嫌がり、敬遠するようになったから。まあ、そりゃそうだろう。
でも言い方が良く無いだけで、実は本音は優しい気持ちだったりすることもある。同じことを思っていても、それを口に出すときにいい感じの砂糖ごろもをつけて、お煎餅の雪の宿みたいに優しくて甘い口当たりにするのか、歯が折れそうなくらいカチカチのお煎餅にして唐辛子をまぶして出すのか。
日常的のおやつには、一般的には雪の宿の方がウケそうだ。
でも、みんながみんな口当たりのいい優しい言い方になったらいいかと言うとそう言うわけでもなさそうだ。そうなると、もっと優しい口当たりにと、どんどん柔らかくなり、もはやお煎餅ではなくなるだろう。
中には激辛煎餅を好む人もいるかもしれないし、たまには激辛煎餅食べたい人もいるかもしれない。売れ筋ではなさそうだが、とりあえずのラインアップとして激辛固め煎餅もあってもいい。
男の人は、若いうちは優しい感じでも、年をとると、どうしても激辛無骨煎餅になってしまうのだろうか。それとも、それは時代的な背景からくるもので、今の若い人がおじいさんになったらみんな優しい感じなのか。ちょっとわからない。でも、やっぱり50年後にも、一定の数でクソジジイ共がいるんじゃないかなと思う。
みんなが口溶けの良い雪の宿じゃなくても、一味唐辛子をまぶした固いお煎餅もあっていいのかな。私は激辛せんべいはちょっと毎日は食べられないけど。
その危険物みたいなお煎餅も、上手い事受け入れられる度量の大きい女の人に憧れるけど、五十路にしてまだ無理。とも思ったりもした。
青柳さんのお父さんと猫のエピソードから、色んなことを思いました。詳しくは、カントリーマンラジオのエピソード12回、13回を聞いてみてください。