褒められたい。でも結局、ないものねだり。

沢山、勉強はいるから、
沢山、勉強をさせてみたけど、
はて、それは本当は子供本人はしたかったことなのか。

子供は親に褒められたい。だから続けていることもある。

中学受験のスタート時なんて、そんな子が多いかもしれない。
親も実は子供を褒めたい。

世の中に溢れる「子供を褒める」べき風潮に自分も参加していたし、
なんなら、それをアピールしたい。
誰が見ているわけでもないけど、その披露できる瞬間を夢見て
褒める。褒める私、すごい。よね。

最初は褒める。
だって、今までやってきたことじゃないことをやってるから。
でも、だんだん褒めなくなる。
だって、この前もやったから、当たり前。
当たり前のことを褒めるのはできない。
だって、褒められたことがないんだもん。

誰か、私のことを褒めてくれたら、私も成功体験が増えるから、
子供に声かけしてあげるよ、って。

足りないところをずっと見てる。
子供にも。自分にも。

常に、いいものが、他人が欲しがるようなものが欲しい。

それは、本当に欲しいかは、すぐには実は分からない。

ただただ、褒めてほしい。

なんとも受け身。

子供以上に受け身。

他力本願だな、と思う。そのくせ、文句を言うから、タチが悪い。

ないから欲しくなる。
ないものばかり見える。

自分自身はどうなのかは横に置いといて、
欲しくなる。

他の誰よりも良いものを欲しくなる。

ないから。自分に到底今から得ることができないから。

結局は
子供の意志がない中学受験は、
ないものねだり。その究極の形のひとつかもしれない。

で、欲しいって言ってものは、
大体は手に入れることができないんだけどね。

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