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令和版「好色の系譜」か、はたまた四畳半襖の下張りか~ 否、ももひざ三年尻八年か
今を生きる若者には馴染みの薄い言葉が並んだタイトルである。ここの私などはこういうチョット仄暗く黴の黒墨がだんだら模様に畳を染めたぐらいの雰囲気が大好物なのだが、概ね良識家の皆様におかれては眉根を寄せることになるだろうぐらいのことは想定の範囲内のこと。下ネタ満載の原稿となりそうであるからして、今のうちにバックを踏んでおかれることをお勧めしておく。
さて、講談社による「好色の系譜」という作品集が発行されたのは昭和44年の六月だったようであるからして、今を遡ること53年前のことになる。この作品集は当時の文壇、第三の新人とよばれた純文学の旗手数名の手によるエログロ満載の小説集として随分評判になったようだ。
執筆陣には野坂昭如、近藤啓太郎、瀬戸内晴美(後の寂聴)、田中小実昌などなど錚々たる顔ぶれが並んでいる。
わたしもその昔、野坂昭如の「とむらい師たち」は持っていたのだが、その中の一作、うろろんころろんがこの「好色の系譜」に綴じられいたようである。多分、押し入れの段ボール箱の中に眠っているかもしれない。
他方、"四畳半襖の下張り"と云えば『荷風』である。耽美派の書き手としても知られた永井荷風の手による四畳半襖の下張りなのだが、ご存知の方もおいでかもしれぬが、わたしの管理するブログでこの作品のことはだいぶ前に書かせて頂いている。
同時に、荷風が付けたこのタイトル「四畳半襖の下張り」をわたし流の解釈、無手勝流と落ち着けたのが「割れ鍋に綴じ蓋・論」なのだが、折角だ"わたしのところ"にお運びになられたついで、どうせならここまで深ボって眺めてみてもらいたい。
荷風は、割れ鍋に綴じ蓋という言葉を使いたくなかったのである~と云うのがわたしの酔眼だ(ちなみにわたしは酒を飲まない。故にシラフだ)
さて、お待たせしました ! ! 全国にどれほどいるか判らない吉行淳之介ファンの皆様。ヤンヤヤンヤの大喝采。「ももひざ三年尻八年」と云えば吉行淳之介の十八番(おはこ)である。
桃栗三年柿八年を、吉行士道に倣うと「ももひざ三年尻八年」となる。
因みにだが、桃栗三年柿八年までは概ねご存じなのだが、このあと「柚子の大馬鹿十八年」と続くことまではご存じない方が少なくない。
この機会に、正しいものを覚えてお帰りになっても良いだろう。
『桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年』である。
吉行の、ももひざ三年尻八年も"いろいろな"覚え方をしておられる御仁もいらっしゃるようだが、折角だ、この機会に正しく覚えて帰って欲しい。
男子たるもの、夜の接客の場において……セッキャバではない。接客の場である。接客の場において、女性に不快感をあたえず腿や膝を触れるようになるまでには三年の修業が必要であり、尻にいたっては八年の血も滲むような修業が必要であるとの理を説いた標語である。
間違ってもパンツを脱がしたり、髪の毛を踏ん摑まえたりしては話にならないのである。
士道である。
どのみちこの辺りで目くじらを立てるような御仁とは仲良くなれることは無いだろう。
いいねぇ~粋だったねぇ~。
さて、芥川賞の候補作にもなっている、鈴木涼美氏作 グレイスレスを手にした。
『アダルトビデオ業界で生きる女性の倫理観』という帯が付いているが…… はて、そんなものを書こうとしておられるのだろうか。
だとするなら、読むまでもなく詰まらぬと感じられる。
もっとこう…… 仄暗い、人間の哀切と陰り……、生木を裂くような痛々しさ
そういうものを期待したいのだが。
チョットゆっくり読んでみたい。
世一