随想好日『金輪際書かぬと決めた退院と今後』
命あるうちは絶対に書かぬと決めていることと、書かぬと決めること決めたことというものが私の中にはある。今回の癌に関しても金輪際書かぬと決めた原稿としたのだが、最後に一本だけ上げさせていただく。従って、この後入院しようと退院しようとアメブロやnoteで「癌と闘病」については書くことは無い。大体だね、闘病という言葉が私には不似合いである。私の場合はもっと良い加減でいい。
もしも「結局、あいつの病状はどうなのよ。余命はどうよ」と気にして頂ける方は本稿を参考としていただければよいだろう。
尚、あだしごとではあるが、逝ったあかつき然るべきタイミングにおいて鼬の最後っ屁ならぬ、世一の最後っ屁が世の中にばらまかれることも、なくはない。この最後っ屁に登場する登場人物は凡て〇〇で登場いただくこととしている。所謂、赤裸々である。この辺中々の趣味人なのだわ。
因みに、アメブロには「未来投稿」という機能がある。指定した日時に自動的に投稿される機能であるのだが、先日、運営側に確認したところ、「現時点において、日時の指定の縛りはない」とのことであり、任意の日付を設定できる。私は既に未来の日付を設定し、写真をはじめとする相当量の原稿を上げている。これは非常に使い道がある機能であるからして、これからも少しずつ原稿を増やしておきたい。
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以下10月21日の下書き原稿
お陰様で、本日無事退院させて頂きました。
ここの皆様からは本当に温かいお心遣いを頂戴しましたこと謹んで御礼申し上げます。有り難うございました。
23年8月末にひょんなことから見つかったわたしの膀胱腫瘍は、泌尿器科の診療により9月6日には癌という悪性腫瘍の可能性が高いとの所見を得た。
10月10日の入院時より手術に適した躰の状況作りのため血糖値を下げる治療を一週間にわたり受けるのだが…… まぁ、ここは先へと進もう。
予定通り、10月17日泌尿器科医師の手によるTURBTなる術式により腫瘍の切除術を受ける。さて、この際、わたしは手術の一部始終をモニターを通じて眺めさせていただくことを申し出た。幸い、下半身麻酔だったこともあり、臍下の倫理観が暴れることは無い中、覚醒上にある臍上の倫理観は冷静にTURBT術式を観察することが出来た。
結論として、わたしの腫瘍は「悪性腫瘍」即ち、癌であったと同時に多発性癌だったのである。
一つではなかったのだ。まぁ、多発性といっても二カ所なのだが、これは目視可能な癌ということであり、顕微鏡確認がされているかどうかは分からないからして、されていた場合は膀胱内に他の発症、群発性の可能性も否定はできないだろう。
昨日の医師による詳細な説明では、T 1 ということではあったのだが、私がモニター越しに眺めた率直な感想を述べるのであれば T 2 a ということになる。どうも、根が取り切れていないように見えてしまったのだ。もちろんこれはド素人の目線であるからして、あてにはならないだろうし、医者が T 1と云ったものであればその額面通り受け取ればよいのではあるが__________。
"本品"の特徴として想定し得るリスクを可能な限り拾い上げ、最も効果的な結果を求める仕事スタイルを志とする私としては 、T 1 は社交辞令に聞こえてしまっているのである。
さて、この私の感覚を裏付けるように、医師から齎された言葉にこれからの治療方針についての説明があるのだが…… 。
「リスク大 G3」よって、BCGによる免疫治療を提案したい。
というものだった。
ここでいう「リスク大 G3」とは、再発を指すようだが、もしも私の考えるようにT 2 a まで至っている場合においては播種転移の可能性も示唆することになる。現時点においては遠隔転移や播種転移の事実は認められないが、浸潤度合いによっては今後にそのリスクも考えられるだろう。
組織検査の結果、腫瘍の悪性度合いが高かったことがわかっているようであり、腫瘍の大きさは2センチ未満ではあるものの、多発性、高悪性度、T1と云うことから、第一期ではあるもののリスク分析上は第1期グループ3 相当と診ることが妥当なようである。
(低リスク・中リスク・高リスク・超高リスクの4グループに分類される)
私の場合、現時点で筋層非浸潤型膀胱がんとの告知を得ていることに鑑みるのであれば、5年生存率75%~80%である。
しかし、筋層浸潤型の場合は5年生存率は41%~49%となる。
さらに筋層浸潤リンパ節転移が認められる場合の5年生存率は35%~40%とのようである。
即ち、筋層浸潤型の場合、二人に一人は5年以内に命を落としているわけであり、リンパ節転移型の場合は三人に二人は5年以内に命を落とすようである。
まぁ、筋層非浸潤型においても、5人に一人は命を落とすわけだからして、結局はTURBTにおいて、どこまで取り切れていたか~ということころが分かれ目となるのだろう。
さて、ここで人間は分かれることになる。
余命を5年と見据える人間
根治を目指す人間
何も考えない人間
チョイと考えてみたい。