見出し画像

傲慢な未来予測者

巷にはド素人の未来予測が溢れている。2030年はこうなるとか、テクノロジーで社会はこう変わるとか、あるいは未来を読むハウツーとかだ。勿論これらを単なるエンターテインメントに他ならず、学術的でもなければ実践的でもない。彼らは未来予測を投資やビジネスに活かしているのではなく、ただそれらをネタに本を売ったり、アクセスを稼いだりしているわけだ。

教養ある人達は彼らの意図を推察出来るが、予測を信じる情報弱者と呼ばれる人たちもいる。月並みな表現をすれば、これはいわゆる情弱ビジネスというやつで、このビジネスを仕掛けている彼らは未来を予測する気など毛頭なく、未来予測とは何かという疑問すら持たない。このような現状は極めて残念だ。彼らが生み出しているのは一過性の楽しみくらいのもので、むしろ無責任な予測は学問(主に社会学)においては有害にすらなりうる。

問題の根底にあるのは彼らの知に対する傲慢だ。彼らは他方でソクラテスを引き合いに出して「無知の知」が大事だと言いながら、他方では未来について何か知っているかのように話す。ソクラテスを理解しようだなんて微塵もしていないのだ(ちなみにソクラテスは無知の知なんてことは一言も発していない。ソクラテスの真意は「不知の自覚」つまり文字通り何も知らないと”思っている”というものだ。「知っている」と「思っている」のでは全く意味が違う。)

ではなぜ彼らは知的傲慢に陥るのだろう。僕が思うに、それは彼らが予測の実践家ではないことと、リスクを負っていないことに起因する。予測の実践家というのは、プロのギャンブラー、投資家、トレーダーとかだ。トレーダーは予測を誤ると財産を全て失う可能性もある。だから予測に対して慎重にならざるをえず、中には「予測は全くの無駄だ」というトレーダーも珍しくない。

リスクを取ることの意義を理解しているトレーダーはやはり謙虚だ。謙虚でなければ市場から退場することになる。しかしどうだろう。予測をネタにコンサルやアクセス稼ぎをする彼らは、予測が外れても大した痛みがない。元トレーダーであるナシーム・タレブは著書、身銭を切れ(原題"SKIN IN THE GAME")でこのことを口酸っぱく警告している。リスクを負わないやつを信用するなと。

トレーダーとしての僕の実体験を一つ。そもそも正確な予測というのは並大抵の努力では実現できない。僕の場合、検証と実践を数千時間と重ねて、やっとで主要な為替市場の現在から一週間ほどの未来を予測出来るようになった。しかもその正確性は60%とかその程度で、そのタイミングは一週間に2~4回しかない。長期予想なんてもってのほかだ。

トレーダーに限らず実践家はそういう厳しい世界に生きているので、自然と謙虚になるものだ。自分と専門外の話題になったときは慎重に言葉を選ぶ。知らないことは知らないという。知ったかぶりをすると大きな代償を払わされることを肝に銘じている。本当の知識はメディアや本から得るものではなく、経験や実践から育まれるのだということも。

安易に未来予測をする彼らは、本や動画を出すクリエイターとしては専門家だが、未来予測の専門家ではない。であれば、専門外の話題でもっと謙虚になるべきだ。その代償は大きい。その未来予測をもとに投資判断をしてしまう情報弱者も世の中にはいるのだ。ビジネス上の判断に影響を及ぼすこともあるだろう。だけどそういう失敗コストの原因は目立たない。大抵は泣き寝入りすることになる(もちろん情弱サイドにも問題はある)。

「専門家の予測精度はチンパンジーのダーツ投げと同じようなものである。」これは社会心理学者フィリップ・テトロックの有名なジョークだが、彼が20年の研究で実証している事実でもある。ありていにいって、専門家ですら未来に関しては何も分からないのがこの世界だ。専門家の予測は政府の経済政策にも影響を及ぼすので、さらに代償が大きい。ともあれ、あなたが懐疑主義者でない限り、未来予測に頼るのはおすすめしない。他人の予測なんてもっとだ。

いいなと思ったら応援しよう!