見出し画像

おかえり

『ねぇ 肌が合うって
どういうことだと思う?』

「そうだな
皮膚と皮膚の境目が分からないほど
馴染んでるってことなんじゃないかな」

まつ毛が触れる距離で 
隙間なく肌を合わせ

私たちは いま会話をしてる

肌の境目を感じないほど馴染む肌
そう感じていた人だ

そう感じていたはずなのに
二人の間には
三度ほどの四季が巡っていた

二人がいつの間に会わなくなったのかさえ
思い出せないほどの時間が流れていた

ただ 肌の記憶は 鮮明だ
触れた瞬間に
時が戻った

次にいつ会えるかわからなくても
会いに来てよかった

この肌に触れてよかった



ひと月前のことだった
無沙汰をしていた方からの
電話があった

お元気?
あのね 私ね癌になっちゃった
未来がもう少ないの

私に会いにきてくれないかしら

彼女は
明るく伝えてきた

迷いはなかった
もうご高齢と言われる年齢だ
しかも癌 治療はしない
という覚悟をお持ちだ

幾度も思い浮かべる時が あったのに
いつまでも変わらない関係性に 甘えていた
いつでもお会いできると 甘えていた

時は流れているのだ
待ってはくれていないのだ

会いたい人には会っておかねばならない
もしも
その後 幾度も会う機会があったとしても

会いたいと思った気持ちを
掬ってあげなければいけない

思い出してるだけでは 身勝手なのだ

その方と過ごした
優しい数時間が

減っていく 自分の未来の時間を
改めて教えてくれた



いく日か前のこと

『転勤が決まったよ』と
LINEが届いた

まだ彼は この土地に居る人なのだと
勝手に思い込んでいた
この土地の人ではないのに

強い喧嘩別れをしたわけではなく
疎遠になっていた

言葉の行き違いで
互いが近づくのをやめていったのだ

思いのすれ違いに 
傷付かないように
近づくのをやめていった

幾度も顔を合わせる機会はあった

その度に
昔からの知人のポジションを表に出し

二人になることを避けた

他の誰かを感じることもお互いにあった
その事を耳にしても もう傷付かないほど
時間が流れていた

居ると思っていた人が
居なくなるのだ

私の心がざわついた
そして文字を打った


『会う時間 もらえないかな』

帰ってきた返事は
「気を使わせてごめん ありがとう 
でもスケジュール的に難しいかな」

いつもの私なら
そうわかった 元気でね と
次の感情を収めていたはずだ

でも今は
会わなければいけない人なのだ という
感情が 退いてくれない

『立ち話でもいいの
私の勝手な気持ちに区切りの時間を作って欲しいの』

LINEが既読になり
電話がかかってきた

「ほんとに勝手だな 少し前の流行った
『香水』の歌みたいじゃんか」と笑ってた

そして
「どうせなら 夜に会ってくれよ」

私からの誘いを
彼は自分からの誘いに

スイッチした


久しぶりの彼の部屋番号を押した
忘れていないものだ

音を鳴らさなくていい様に
少しだけドアが開いていた

その隙間から彼の顔が見えた

『お久しぶり』
「相当な」

引越しの片付けが少し始まってる感も
見えつつも
懐かしい部屋だ
カッシーナの一人がけ用のソファも
配置もそのままだ


私は
差し出された彼の手に
コートやバッグを手渡した

何年も 時間が空いてる事実など
この部屋に入った瞬間消えてしまった

グラスにビールを注ぐ手を見ていた

乾杯
何に乾杯なのだと笑う
照れ隠しの様でもあり

空白の時間をないものとして扱いたい気もあり
幾度も目が合うたびに
グラスを重ねた

話しては 笑い
笑ってはハグをした

そして 長いキスをした


まつ毛が触れる距離で 
隙間なく肌を合わせ

私たちは いま会話をしてる

肌の境目を感じないほど馴染む肌
そう感じていた人だ

この地を離れる人
そして
この心に帰ってきた人

おかえり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?