人生の背骨が崩れたら、
私の背骨は演劇だ。
今話題となっている、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』を読んだ。
推しているアイドルが女性を殴ったことで炎上し、そのアイドルを応援している女子高生の心の機微を描いた作品である。
この作品の中に、「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。」というセリフがある。
彼女にとっての背骨は推しなのだ。
推しが炎上したことにより、その背骨が徐々に、もろもろと崩れていく。
勉強もバイトもままならない彼女にとって推しは希望で、生きる理由であった。それが、一瞬のことで崩れていってしまう。それがどんなに辛いことか。背骨が崩れてしまっては、生きていけない。立っていられない。もうどうしようもなさがつのる。
冒頭に書いた、私にとっての背骨は演劇である。
小学校のときにみた演劇の衝撃が忘れられず、大学も演劇をやってきた。
それが、コロナの影響であっという間にもろもろと崩れてしまった。
私を支えてくれていた演劇はこんなにも脆いものだったのかと唖然とした。ショックすぎてしばらく立ち直れなかった。いや、いまも立ち直れていない。
巷ではZOOM演劇なんてうたわれたけど、それは演劇ではなく演劇的な何かであることは変わらないのだ。
無観客で配信。だけど、演劇は生ものでお客さんがいないと稽古になってしまうのだ。もう本当に嫌だった。
もちろん、プロの世界ではそんなことは言っていられないし、どうにかするしかない。これが世界の理なのかとも思った。だけど、だけど…どうしても個人的にはこの状況に耐えられなかった。
去年の4月ごろ、緊急事態宣言で様々な公演が中止となった。私が観に行く予定だった公演もなくなった。それこそ推し俳優が出演する予定だった公演で、推し自身も思い入れの強い作品であったからファンとして倍、楽しみだった。それなのになくなってしまった…。しんどかった。こんなよくわからない未知のウイルスのせいで、こんなにも簡単に大事なものを奪われることがあるのかと驚いた。
1度目の緊急事態宣言が明けてからは、徐々に演劇界も活気が戻ってきたように感じた。嬉しかった。わたしも何作品か観に行った。パワーを貰えて、何度でも私の背骨は演劇なんだと再確認させてくれた。
それが、2度目の緊急事態宣言で、また崩れていっている気がする。
辛い。劇場も出演者も苦しい状態で、稽古をしてきたのに中止にせざるを得ない状況。
背骨がまた崩れかけている。私はどうすればいいのか分からない。
立てない。生きていくのが今とてもつらい。
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