文章を残す、ということ
初投稿でいきなりだが、私は生まれてこの方日記というものを書いたことがない。
昔から「文章を書く」ということは好きなのだが、こと自身の日常を書き残すことに関しては、とんと筆が進まない。
この時どうだったか、とか。
その時どう思っていたか、とか。
振り返れば有益な情報はいくらでもあるのだろうけれど、どうにも日記だけは苦手だった。
そしてここで「有益」という単語をチョイスするあたり、それこそ自分は日記には向いていないのだろう、とも思う。
そもそも日記とは、何を目的に書くのだろうか。そこから答えが出せていない。
自分が有益という単語に拘るならば、寧ろ自分の中の「有益」とは何だろうかと掘り下げる。
「有益」とは「役に立つこと」。
これではあまりにも国語辞典的なので、自分の中の定義を考える。
役に立つこと。
実生活に役に立つこと。
教訓を得られるようなもの。
こんなところだろうか。
さて。仮に日記というものを「日常の出来事を書き記すもの」とした時に、これは上記に当てはまるだろうか。
--否。少なくとも自分は自分の日常を書き残しただけのそれに、きっと「有益性」を見いだせないのだろう。
私にとって「その日は晴れだった」とか「どこへ出かけた」という内容は、将来の教訓にはなりえないのだ。
勘違いしないでほしいが、自分以外の誰か(例えば、いるかもわからないこの文章の読者の方)が日記を書かれていたとしても、私はそれを決して「無益」とは思わない。
あくまで自分にとって、自分が過去に経験した日常は有益になりえない、という話である。
そう考えると、もしや自己肯定感が低いから無価値に思えるのか?とも思考が飛び始めるが、そこは今回の趣旨とは違うので傍に置いておこう。
ここまで「自分には日記が書けない」ことを書き連ねておきながら、何故自分は初投稿にしてこんなに長文を書いているのか。
その答えがわからないからこそ、少しだけ今後もこのエッセイもどきを書いていこうと思っている。
自分は自分の何に価値を見出すのか。
将来小っ恥ずかしくなるのかもしれないが、それはそれ、これはこれ。
まずは、日々ふと考えたことなどを書き残していけたらと思う。
あなたは、何のために日記を残すだろうか。
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