『特別展 りぼん』
小さなノスタルジア
私は絵が描けない。いや描ける。
他人に見せて伝わるような絵を描けない。
通知表はいつも3で、美術の先生には、描いた海を「これは川かな?」と言われた。
そりゃあ上と下に岸があって、その間に水が流れていたらね。例えハイビスカスがあってもね。
友達と電話をしていて、小学生の頃に、クラスで流行ったおもちゃの話になった。
Canバッチgood!とか。ベイブレードとか。
そしてこれ。ちゃおスララ。
プラ板に写して反転した絵をなぞる。
懐かしさに笑いすぎてお腹が痛くなった。
こんな道具を使ってさえ、私はうまく描けなかった気がする。目のグラデーションを、鉛筆で一体どうすればいいのだ。今思うと、筆圧なり持ち方なりを工夫して濃さを変えてみればよかったのだろうが、子どもの頃から自分は絵を描けるようになる、とすら思ったことがなかった。そして今も、コミュニケーションとしての絵なんて、とても描けない。
絵が古くなるという問題
木曜日、『りぼん展』に行ってきた。図工3、一生ど素人の私にも、展示されている数々の名作の「絵が古い」ということは明確に分かった。けれどどこがどのように古くなったのかをすぐに認識することは難しかった。
帰ってからデザイナーの友達に聞くと、線画の多さと目の近さじゃない? とのことだった。平安時代の絵巻なんかにあるおかめ顔の、引き目鉤鼻の話を思い出した。デフォルメした漫画はそんなことない気がするのだけどなぁ。
出口には「そして今」発刊されているりぼんが3冊ほどディスプレイされていた。目の煌めきが半端ではない。あと色使いが今見てきた作品とは違った。原色を使うことがあまりなく、パステルカラーが多分に利用されている。
漫画が老いる速さは、小説や映画、写真に比べて異常だと思う。
手放した宝物『天使なんかじゃない』
小学生の時に通っていた美容室のお姉さんがおすすめしてくれて、何度も何度も何度も読んだ。『天使なんかじゃない』を、何を血迷ったのか大学生のときに全巻売ってしまった。当時の失態を取り返すかのようにこのりぼん展にて、愛蔵版を購入した。
私が一才のときに連載終了した漫画が、2年前に新装再編版として発売されていたのは知っていた。この展覧会がとどめだった。エモーションが非常に動く。
そしてここでもまた絵の古さ問題が登場する。何とカバーが矢沢あい先生の新規書き下ろしなのだ。(凄まじく翠がナナで晃がレンなの辛い)
一巻の最初のコマとの差がもうとんでもない。脳と手と目がちゃんと繋がっていない私だが、ちゃんと見比べてみた。
なるほど確かに新装版では目が離れて、顔の余白が少ない。化粧と一緒だ。
古いと感じて、そして
今までの名作の数々を観て歩いているうちに、ふと寂しさを覚えた。
この絵は古いと脳がキャッチした瞬間に、この作品を初めて読む人たちに敬遠されてしまうのではないかと思ったのだ。
だって私がそうだから。
でも読み返してみると、やっぱり最強に面白い。伏線も展開もぐいと引き込まれる。
寂しい。
今は新しいと思えている絵だって、同じようにきっと古くなっていくのだろう。
そうであるならば、蓄積されていく今までの作品は一体どこに行っちゃうんだろうか。
読み手として、漫画という文化のこの先のことを、生意気にもぼんやりと考えた一日だった。
おしまい
おまけ。
まるちゃんにドラえもんが出てくる、そういうのもすごくすき。しかもすごいメタだし。
じょ