幻の龍淵を見に行く 瀬戸市赤津
龍淵または龍ヶ淵は、「たつがふち、りょうがふち、りゅうがふち」などと読まれる。かつては瀬戸市の観光スポットであった。近年は所在がわからなかったのだが、伊藤嘉章さんが探し出した。伊藤さんの案内により、現地を訪ねた。
尾張名所図会
尾張国の名所、旧蹟、名物などを紹介した江戸時代のガイドブック『尾張名所図会』。現存するものも多数記載されており、今読んでも楽しい書物だ。瀬戸市であれば、定光寺、岩屋堂、雲興寺、深川神社などは絵と説明文で詳しく紹介されている。その中のひとつの龍淵は、近年所在不明になっていた。
龍淵
「この淵は厳石が両岸から突出していて、川幅が狭く、水勢ははげしく逆浪雷動し、水しぶきは玉を散らせるようである」(『瀬戸市史 資料編1 村絵図』)。
なかなかすてきな川辺である。夏場に行って、「おー、龍が出そう!」とか言って涼みたい。かつては万徳寺から龍淵までが散策コースになっており、多くの人が風景を楽しみ詩を詠んだりしたという。
伊藤三橋(1747~1790)は名古屋の書家で、龍淵が大好きだった。
弟子の尾頭広居(1762~1829)が龍淵の岩に、彼の漢詩を経緯とともに彫り付けた。(1813)
漢詩 龍淵竜躍 龍今何遷
萬古蒼々 但龍淵有
漢詩の意味
昔は龍淵で龍が躍っていたというが、その龍は今は何処へ行ってしまったのだろうか。遠い昔から、この辺はいつも青々と水を湛えているが、今はただ龍淵のみが残っている。
岩に掘られた漢詩が龍淵のステイタスを上げ、さらに行ってみたいスポットとなったのは想像に難くない。『尾張名所図会』にも、水流逆巻く深山渓谷が描かれ、左の岩には文字が刻まれているのが見てとれる。右手の岸では人々が絶景を眺めたり、お弁当を食べたり。
探検隊
伊藤さんは6年にわたり執念の探索を行い、ついに龍淵を再発見した。
小グループで案内していただく。グリーンシティケーブルテレビも同行した。山に囲まれた静かなところで、ウグイスやホトトギス、オオルリの声がする。
「すぐそこだよ」と言われ、茂みに突入。いや、待って。道がない。地面が斜面。落ち葉が滑る。枝が邪魔。進むにつれて脚がガクガクしてくる。
何とか下っていき、川が近くなった。前日までの雨で水位が増し、水が濁っている。しかし涼し気な川面が近い。きれいな瀬だ!
「あれです」「えー?」言われてみれば、対岸の岩に…字が…あるような…?岩が湿っていてよくわからないけど…?説明をしていただくと、確かに詩の一部「萬古」と、少し小さく「文化癸酉 月」とわかる。
岩が乾いた状態のときの写真を見せていただいた。このときは水位も低く、下部まで見えている。文字はだいぶん摩耗しているが、確かに痕跡が残っている。現在、岩の半ばは水に隠れており、下部は土砂に埋まっている様子。川の下流に「複数の大型堰堤が作られたことにより土砂が溜まり、龍淵は徐々に砂で埋まっていったものと推測される。」(『観光写真にみる瀬戸市の今昔』)
江戸時代から愛され、文化10年に漢詩が刻まれてさらに有名となった。1924(大正13年)の瀬戸電鐵発行のパンフレットにも紹介されている。昭和初期、下流に堰堤が作られるまでは知られていたと思われる。
長い間、赤津の名所であった幻の龍淵は、今もひっそりと残っていたのだ。
行ってみたい方は…
現地はわかりにくい場所にあります。見学会が不定期に開催されるそうなので、希望者はチェックしてみてください。距離は遠くありませんが、健脚コース。
連絡先 上杉毅(たけし) u190957@gmail.com
参考文献
『瀬戸市史 資料編1 村絵図』 瀬戸市史編纂委員会 愛知県瀬戸市発行『観光写真にみる瀬戸市の今昔』伊藤嘉章 せとまるっと環境クラブ発行『尾張名所図会 後編』 国立国会図書館デジタルコレクション
『瀬戸電鐵沿線案内』(1924年)
上杉あずき@STEP