ブルアカの話をする(雑記)
現在自分のスマホで稼働しているソシャゲはメギド72、ポケマスEX、ウマ娘、そしてブルアカの4本である。これら全てに入れ込んでいるわけではなく、ログボだけ繋いでいたりデイリーだけ消化したりとまちまち。そもそもソシャゲ自体が半ば生活内で義務化しており、「いかにして効率よく一日分のクエストやミッションを消化できるか」という、もはやゲームとして楽しむのは二の次になっている状況だ。ちなみに課金は久しくやっていない。
コンシューマーのゲームとは明確に区分してやっているところがあり、据え置き期のゲームに関してはできるだけ多く時間を取って遊びたいが、ソシャゲは隙間時間でさっさと終わらせたい。そもそも戦闘も全てオートかスキップして欲しいという「お前は何でゲームをやってるんだ」という感じなのだが、やっぱそれはソシャゲのストーリーはソシャゲでしか読めないというところがある。
ここからがようやく本題なのだが、先日ブルアカのメインストーリーを現行までようやく読み終わった。特に「エデン条約編」は凄まじいボリュームで前評判通りかなり良いストーリーだった。ブルアカは徹頭徹尾「大人と子ども」の話をしているのだが、更に頭一つ抜けた印象がある。
ブルアカのメインストーリーでは子どもたちの甘酸っぱい青春のすれ違いに付け込んで暗黒メガコーポが利権を得ようとしたりテロ思想を洗脳で植えつけたり外宇宙から名状しがたいものが飛来したり太古のマザーコンピュータが終末戦争を画策したりするので、大人である先生(プレイヤー)が最悪のシナリオを防ぐべく東奔西走してだいたいカロウシ寸前になったりする。
敵の大人は子ども(生徒)のことを完全に「搾取対象」「都合のいい駒」「非ニンジャのクズ」と見なしており、何かにつけて「無限の可能性・・・まだ見ぬ地平線の果て・・・あなたも新しい世界を見てみたいとお思いですよね?」などとダークサイドに誘ってくるのだが、プレイヤーの先生はその荒唐無稽な夢のために子どもたちが踏みにじられるのを看破しているので全く心揺らぐことはなく「お前らが何を企むかは勝手だが・・・子どもを泣かせるやつには大人のカードを喰らわすぞ? あ?」というスタンスで話をつけに行くのだ。
この構成が妙で、子どもたちの問題には必要な手助けをするだけに留め、大人は大人同士で決着をつける、そのための最大の武器が「大人のカード」という、どこからどう見ても”ク”から始まる大人専用カードなのだが、要は「生徒たちを守るためなら課金も辞さない」というソシャゲしかできないメタな要素をストーリーに盛り込んでいるのが非常に面白い(この大人のカードを使用するタイミングだけパーティを自由編成できるのも一貫性がある)。開き直り方が攻めすぎている。
他にもチートプレイヤーやトロッコ問題などのクソゲーを押し付けてくる腰抜け野郎に対して、ハメ技や問題そのものの書き換えで対抗するゲーム開発部編も「未来はどんな形にも変えられる(何故なら私たちはゲームを自由につくれるゲーム開発部だから!)」というメッセージがバリバリ伝わってきており、「ああ、このシナリオを書いている人間は本当にゲームが好きなんだなあ」と感心するばかりだ。
……それはそれとして、メインストーリーでめちゃくちゃ大人をやっているのに時折HENTAI化する先生はちょっと理解できない。だから「ブルアカはえっちなゲームに見えるかもしれないけどストーリーはめちゃくちゃ良いんだよ!」とか苦しすぎる言い訳になるんだわ。どうなってんだ。
(終わりです)