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ベランダバーベキュー #風景画杯

 車のドアを開けた途端、グラタンを焼いた後のオーブンレンジのような灼熱がなだれ込んできた。カーナビに繋いだiPodを慌てて回収し、涼しさを求めて玄関へ向かうが、1階の窓が網戸で全開になっているのを見て、勇み足は途端に萎んでしまった。

「なんでこんなクソ暑いのに冷房付けてないんだ」
 ブツブツ言いながら玄関の戸を開ける。当然鍵はかかっておらず、ここ数年で付近に分譲住宅がボコボコ建ったことを考えると不用心極まり無いが、うちの家族らしいと言えばらしい。
 1階のリビングに顔を出すが、悲しいほど無風で清涼さの欠けらも無い部屋には誰もいない。防犯意識が死に絶えた一帯を横切り、階段へ向かう。

「おう」
 階段を上がると、廊下の半ばの扉から妹がのっそりと顔を出した。プリンになりかけの金髪頭をボリボリとかいている腕は病的に白く、骨と皮しかないようにやせ細っている。着ているメンズサイズのTシャツはダボダボで、プリントされている攻撃的なグラフィティはしなびて意気消沈しているようだ。

「兄の帰りだぞ。もっと有難がらんかい」
「とか言っていっつもダベって帰るだけじゃん。今日は何しに来た」
「本を取りに。ついでにこれ。頼まれてたCD」
「マ、よっしゃ」
 ユニクロの紙袋入りのCDを突き出すと,、ひったくられるようにぶんどられた。

 プリン金髪がすごすごと引っ込んだのを追いかけて扉の隙間から部屋をのぞき込むと、四畳半の壁にはライブのフライヤーやアニメのポスターが窮屈そうにベタベタ貼られ、床とベッドの上に散らかった漫画やら服やらCDケースやらがエントロピー増大に一役買っている。平常運転だ。

「見て。描いたわ」
 ぐいとタブレットで見せつけてきたのは少女のイラストだった。タッパが高くバナナの房のように髪をまとめている。今最も妹を狂わせている女だ。

「へー上手いじゃん」
「線画はまだマシ。色塗ったらクッソ残念になった」
「描ける人間は描けない人間より10億倍偉いから気にするな」
「毎日描いてんのにこれが全然上手くならねーんだわクソ」

 文句を言いながらも自分で描いたイラストでグッズやら同人誌やらをこさえているので俺から見れば天上人である。生産性に目覚めたオタクという生き物は恐ろしい。

「これを今からフォロワー二桁のアカウントに投稿します。するとどうなる?」
「誰からも顧みられずTLを流れていく」
「死ね」
「フォロワー三桁の俺がいいねとリツイートしたろ」
「絶対にやるなよカス」
 すごすごと部屋の奥へ退散する妹を見送ると、廊下の突き当りの扉を開いた。

 妹より広い部屋だ。その一角に、トリプルディスプレイとゲーミングチェアで黒く彩られた戦闘機のコックピットのようなスペースがある。
 ゲーミングチェアの上であぐらをかいてコントローラーを握っているのは弟だ。囲い込むように配置された三つの画面はそれぞれ右端にチャットが流れるゲーム配信、ソシャゲの自動周回、そして弟がやっているゲーム画面が表示されている。

「よう」と声をかけると唸るような声が返ってきた。平常運転だ。
 ザ・引きこもりのような弟の生活サイクルが一変したのは一年半前。一日のうち10時間は画面の前に座っているようなゲーム廃人だった弟は、突然フィットボクシングとリングフィットアドベンチャーに目覚め、毎日欠かさず2時間は費やすようになった結果、ヒョロヒョロだった体は引き締まり、パンチの切れ味が増し、フラフープが驚異的に上達し、猫背は改善し、人生最良の健康状態を更新し続けている。
 今では食生活の管理とプロテイン摂取まで手を出しているのでもしかしたらこいつは自分の体を使って育成ゲームでも始めたんじゃないかと俺は見ている。変わらないのは陰キャっぽい髪型とどもりがちな口調だけだ。

「本借りに来たわ」
 唸り声の返答。弟の視線は画面から離れない。
「ホームズの小説持ってたよな?貸して」
 また唸り声。近づいて見ると、狼が恐ろしい刀捌きで葦名弦一郎を一方的にやり込めていた。その隣の画面でソシャゲが周回し、コメントは縦に流れ続けている。
「すげーな。ノーダメじゃん」
「いや。そうでもせんと後の連戦で負けるし」

 弦一郎をボコボコに叩きのめしたタイミングでポーズをかけると、弟はチェアにあぐら姿勢のままぐるりとこちらに向き直った。
「ホームズってことはあれクリアしたんか」
「そう。めちゃくちゃオモロかったわ。もっとはよ言ってくれ」
「いや何年も前から言ってるしそっちがいつまでも手ェ出さんかっただけだろさっさとシリーズ全部やれや」
 どうしてうちの妹弟は年長者に対していちいち殴りかかるような口調なのか。反論の弁を飲み込んで、天井まで高さのある本棚の文庫本コーナーから目当ての本を抜き出すと音もなく立ち去ることにする。ちらりと振り返ると弟は既に画面に向かっており、弦一郎の肩から生えてきた一心との戦いに突入していた。世間から隔絶し数多のストイックな死にゲーに捧げてきた弟の人生は今、フロムソフトウェアと出会ったことで一端の落ち着きを見せたようだ。

 もう一度妹の部屋に顔を出すと、プリン金髪がタブレットにペンを走らせている。
「母さんは?」
「知らん。工場っちゃう?」
 ということはまた外に出るのか。勘弁してくれ。

ーー

 工場は一軒家のすぐ隣に建っている。シャッターの隣の立て付けの悪いドアを開けて、さらに中に鎮座しているプレハブの建物に入った。事務所だ。

 事務所の戸を開けて左手の壁一面には大小様々な大きさの水槽が三段に渡って並んでいる。大きいものでは1mほどの大きさの水槽群には水草が生い茂り、鮮やかな熱帯魚たちが優雅にひれをたなびかせている。
 それはもう壮観な景色で、納品に来た取引先も感嘆し、足を止めて魅入ってしまうレベルのものらしい。仕事のお得意さんから分けてもらったことが事の始まりだったが、母にも黙って水槽やら道具やらを買い込んで、いつの間にかスケールの大きい趣味と化していたのだ。

 そんな父は自慢の水槽群を満足げに眺めており、これも平常運転だ。ちなみにうちの家族は父以外魚の世話の仕方を知らない。

「相変わらずすごい光景だな」
「おお、帰ってたか」
「ちょっと物取りに来ただけだからすぐ帰るわ」
「あい、あい」

 そのちょっとした水族館のようなスペースの片隅に、見慣れない小さな水槽があるのに気づいて近づいてみてみると、小さなオレンジ色の魚がかわいらしく泳いでいる。細やかな砂地の上には穴ぼこだらけの岩場が中座し、その上にちょこんとひとつ、イソギンチャクがゆらゆらと触手を揺らしていた。
 思わずうめき声が出た。

「これ……もしかして、クマノミ?」
「あー、ちょっとな、やってみようと思ってな、海水魚」
 ついにそっちにも手を出したか……と俺の顔に出たのを見てか、父は早口でまくし立てた。
「まあ、ものは試しって感じで一匹分けてもらっただけだからこれ以上増やす予定はないし海水魚って言ってもな、専用の溶剤を入れれば簡単に海水がつくれるし、世話自体は他の水槽ともそんな変わらんから大丈夫だ。これ以上魚増やしても世話が大変だからな、うん、うん」

 エアーポンプのモーターたちが低音で合唱している。
 今では自分の子供よりも目の前の魚にかまってやっている時間の方が圧倒的に長い父は、再び満足げに魚たちを眺め始めた。

「……母さんは?」
「さっき裏口から家に帰ったぞ」
「……じゃあ、また来るわ」
「あい、あい」

 我が家の人間の誰も話相手の顔を見ようとしないのも、言葉でドッチボールしがちなのも、内向的オタク気質も全て父の遺伝である。よくもまあ一つ屋根の下で暮らせるよな。腕利きのメカニックがいなければ即座に空中分解しそうな欠陥だらけの飛行機のようなもんである。

ーー

 三度目の業火の日差しに晒されて、ようやくリビングで目当ての人物を見つけられた。
「おーおー、来たか来たか」
「どこ行ってたんだよ……。無駄に外歩き回ったわ」
 母である。腕利きのメカニックにして、生活力が死に絶えていた”陰の者”4人の尻を鞭打ちこれまでの波乱万丈な航空経路を指揮してきた操舵士だ。
 掃除洗濯料理はもちろん、最近では壁紙を貼り替え、漆喰を塗り直し、ダイニングチェアのクッション皮を張り直し、家中の定期的なワックスがけまでやるようになっているので「誰も家事を手伝ってくれない」とかぶつぶつ文句を言っても、新たなステージに突入した我が家の家事を誰も進んで引き受けようとしないのである。多分このままいくとDIYリフォーム事業まで手掛けることになるだろう。多分。きっと。

「本取りに来ただけ。もう帰るわ」
「あんたお盆どうするの?どっか出かける?」
「いや、どこも行けんから家でダラダラするかな」
「うちでバーベキューしよ思ってるけどどうする?来る?」
「うちでバーベキュー……?」
 そんな催しはこの家に生まれて初めて聞いた。バーベキューと言えば盆の季節に母方の実家でやるのが常だったが、昨今の時勢により去年のことは流れてしまった。
 それにしても、この家は分譲住宅街のど真ん中に建ってるんだぞ。

「うちのどこでやんの? 工場の駐車場?」
「ベランダ。グランピングよグランピング」
 洗濯物干すのがせいぜいの広さのベランダでか。今のところバーベキューのワクワクさよりも「片付けがめんどくせえ」という感情の方が強い。
「グランピングはちょっと違うやつじゃない」
「なんかさあ、最近テレビかなんかで見てからそればっか言ってんの」
 再びのっそりと妹が姿を現した。こいつの挙動は生命力に乏しいせいか、よぼよぼの老犬に近いものがある。

「向かいのすぐ近くに他所の家あるけど大丈夫なんか?」
「すだれで見えないから平気平気」
「あれってそういう用途で使うものじゃないでしょ。というかアウトドア用の机とかないでしょ」
「昔運動会で使ってたのがまだ物置にあんのよ。それ引っ張り出してバーベキューよバーベキュー」
 マジかよ。物持ちが良すぎる。
 母は完全にバーベキュースイッチが入っているらしく、妹の目には既にあきらめの色が宿っていた。
「そうだ、嫁さんも連れてきなよ。せっかくだし」
「いいけど」
「えー、うちに上がるのまだ二回目なのにベランダバーベキューは難易度高すぎない?」
 妹のこれは義妹を慮っての発言というよりも「めんどくさいし気を使いたくない」という”陰の者”特有のコミュニケーション能力の低さによるものなので操舵士には聞き入れられなかった。
「いいじゃんいいじゃん。じゃあいい肉買っとくで楽しみにしとき」
「うす」

 そういうことになり、四度炎天下の下を歩いて車のドアを開くと、グラタンを焼いた後のオーブンレンジのような灼熱が俺を迎えた。


(終)

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azitarou
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