今夜、接近遭遇に染まる。【第五種接近遭遇 ver.】 #パルプアドベントカレンダー2021
早乙女彰は最後まで口を割らなかった。生徒指導室に報告するぞ、と半ば脅してみたが、意に介さないように笑うばかりで、結局目的地まで同行するはめになった。
「お先っ」
彰はフェンスに足をかけ、そこで思い出したかのように振り向いた。
「ちょっと、スカートの中見ないでよ」
「誰が覗くか……今目をつむった」
「本当に? 見えてない?」
「いいから早くしろよ」
まともに会話したのはインターホン越しだけだというのに妙に馴れ馴れしい。
それに、「早乙女彰」の生徒写真は学ランを着ていたし髪も短かったはずだ。なのにコイツはセーラー服にスカート姿、髪も艶のあるストレートで一目見ただけでは女子にしか見えない。
「で、いつからこんなことしてるのさ」
「んー、ひと月前からかな。家庭訪問がきっかけで」
「普通に昼間に来ればいいのに」
「えー、でも夜の学校も楽しいよ?」
「言っておくけど、れっきとした犯罪だからな、これ」
きっかけは届けるプリントに混ざっていた「午後8時に旧校舎の被服室に来るように」という文面だ。差出人は担任の西沢先生。ガサツで忘れっぽく、何度も提出課題の束を職員室に運ばされている。
その度に累くんは真面目でえらいねー、と明後日のことばかり言う。その度に僕のことをどう考えているのかと胸がもやもやするのだが、それはそれとして一介の教師であるならば生徒の規範になるような振る舞いをしてほしいし、自分のことを棚に上げていつまでも子ども扱いしてくるようで苦手なのだ。
そして今回の一件。自クラスに不登校の生徒がいることは気にかけていたが、秘密裏に担任教師が学校に呼びつけるなんてヘタをしたら学級会騒ぎどころかPTA案件だ。
「張り切ってるねえ」
「他人事みたいに。お前が教えてくれないから悪いんだ」
クラス委員として生徒を守る義務がある。そんな思いから行動に出たが、当の不登校がこんなやつだとは思わなかった。
歯を見せて笑う彰の顔を見ると何だか落ち着かず、僕は強いて担任の顔を思い浮かべて頭を冴えさせた。
被服室の前まで上機嫌で先導していた彰を押しのけ勢いよく戸を引くと、年季の入った蛍光灯の明かりに照らされて、暗い廊下に漂う埃がきらめいた。その教室の中央、気だるげでぼさぼさ髪の女教師が机に寄り掛かりタバコを咥えている。
教師が校内で喫煙。頭の中を渦巻いていた糾弾の言葉が吹き飛んでしまい、声が出ない。
「よく連れてきてくれたねー、彰くん」
「はい」
振り向くと彰が後ろ手で戸を閉めたところだった。にっこり笑っている。
こいつ。最初から。
詰襟の中を冷たい汗が伝う。
「大人を連れてこなかったのは大変よろしい」
西沢先生は携帯灰皿にタバコを捨て黒縁の眼鏡を押し上げると、机上にどっかりと置かれている、この場に似つかわしくない旅行カバンからゴソゴソと何かを取り出した。
「今から累くんにはこれを着てもらいます」
*
完全に想定外な一言で僕の頭はフリーズした。
突きつけられている服をぼんやりと見る。黒い布地に白のエプロン。豪奢なフリル。可愛らしいリボン。レースが装飾されたスカート。一見して丈は膝上くらいの長さしかない。
テレビか何かで見たことがある気がする。喫茶店……それも普通の喫茶店じゃないお店で……女の子が着て接客をする……なんかそういう……いかがわしいような……。
「わるーい教師のわるーい現場を押さえる。ふふん、やっぱりえらいねえ累くんは。でもね」
西沢先生は勝ち誇ったようにニヤリと笑ったようだが、鈍化した思考に遮られてよく見えない。
「ちょーっとお人好しでお節介すぎたかな?」
怯むな。ここへ来た理由を思い出せ。ギリギリで踏みとどまっていた理性がそう叫び、なんとか我に返った。
「で、でも閉校した後に無断で生徒を呼び出すのは校則違反、いや犯罪行為ですよ!?」
あら、ちょっとズレた返答ね、と先生は独り言ちたが、気を取り直したようにわざとらしく人差し指を左右に振る。
「甘いわね累くん。こうして被服室に足を踏み入れた時点で君もまた我々と共犯関係なのだよ」
「そ、それで、どうしてそんな服を着ることに繋がるんですか!?」
「それはねえ、私の趣味」
「しゅ、趣味?」
「あ、衣装作りがね。んで、作った服を着てもらうモデルを探してたら偶然彰くんがね、こういう服大好きって言ってくれてね――」
もう一度、彰を思い切り睨み顔で振り返ってやると満面の笑みで返された。ちっとも効いてやしない。
「最初はね? 普通に家庭訪問してたんだけど。彰くんにうちのクラスの写真を見せてたらさあ、この子も似合うかもって話になったのがズバリ累くんだったのよねえ」
西沢先生が見せつけてきた衣装――やっと分かった、あれはメイド服だ――を抱きしめてくるくると回り出した。
少しずつこの異常な状況が呑み込めてきた。
「つ、つまり」
僕は恐る恐る口を開いた。
「二人は僕にその……ヒラヒラした服を着せるためにここにおびき寄せたってこと?」
「「せいかーい」」
朗らかにハモった二人の声が、すきま風のようにゾッと心を通り過ぎた。
わけが分からない。論理が飛躍し過ぎている。
この人は一体誰なんだ。本当にうちの担任の西沢先生なんだろうか。
思わず後ずさると、ひとしきりダンスを楽しんでいた西沢先生が機敏に反応してこっちを向いた。獲物を狙う肉食獣の目つきだな、と思ったところでその哀れな獲物が自分なのだと気づいた。
「大丈夫だよ」
くいと袖を引っ張ってきながら、耳元で彰が囁いてきた。
彰は歯を見せて笑うと、後ろからぴったりと体を寄せてくる。
ぎゃお、と犬のような鳴き声が聞こえて一拍置いて、それが自分の喉から出た声だと理解しかあっと頬が熱くなる。騙されるな、こいつは男だ、と理性が頭の中で警鐘を鳴らしている。
「きっと似合うと思うよ。すっごく可愛くなるから。化粧もしてあげる」
そういうと、そのままがっちりと羽交い締めにしてきた。
「ちょっと待って、二人ともどうかしてる!?こんなの絶対おかしい!」
どうにかしてこの状況を打破しようともがいたが、彰は想像以上に力が強く振りほどけない。そうこうしているうちに先生はこちらに近づいてくる。徐々にその動きが遅くなり、頭がフル回転しているのが自分でも分かった。ああ、走馬灯ってこういう感じなのか。
(いいですか、累)
響いてきたのはおばあちゃんの声だった。あれは小学生の頃、おかっぱのような髪型をいじられたときに「そっちこそ何だいそのモヒカンみたいな頭は。僕、知ってるぞ。そんな髪型してると髪を虹色に染めたり側頭部にタトゥーを入れたり肩スパイクを付けたりするような感性のねじくれた人間になるんだぞ」と反撃して取っ組み合いの喧嘩をした日のことだ。
(己の欲せざる所、人に施す勿かれ。自分が人からされたら嫌だなと思うことは、人にはしてはいけません。いつも相手を思ういたわりの心を持ちなさい。皆がそんな心を持っていればきっと素敵な世の中になるでしょう。くれぐれも忘れないように)
よりにもよってこんな時に思い出すなんて。
いったいどうしてこんなことになったんだろう。
西沢先生が喜色を湛えてにじり寄ってくる。
ミニスカートのメイド服が視界いっぱいに広がる。
*
「待って先生、誰か来そう」
先生のヒール音とは違う足音が徐々に近づいてくる。それも迷いなく、真っ直ぐこの教室に向かって。
「やっば。二人とも隠れてすぐに!」
彰に腕を掴まれ教壇の影に引きずり込まれた、その直後。
「西沢先生、まだいらっしゃいますか?」
「は、はいっ!?」
先生の上ずった声が、どこか遠くで聞こえた気がした。
えーっと、谷さん、今日は宿直当番の日でしたっけ? 西沢先生、今日も残業してるの? ま、まあそんなとこです。わざわざこんなところでやらなくても職員室のがいいんじゃない。ほら、コピーとるのとか不便でしょう。や、こっちのほうが集中できるので。あんまり遅くなると夜道危ないですよ、先生もまだ若いんですから。帰るときはちゃんと電気消して鍵をかけてくださいね。はい、はい、分かりました。
会話が耳を左から右へと流れていく。
僕は教壇の裏、尻餅をついた姿勢で硬直していた。
そして彰は、覆いかぶさるように僕の体の上にまたがっている。
さっきまでのいたずらっぽい表情はどこかへ消え去り、彰は物陰から固唾を呑んで耳をそばだてている。その横顔から目を離せない。
新品のように着崩れしていないセーラー服。真っ白なリボン。浮き出ている鎖骨。華奢な首筋。
肩に置かれた手はしわになりそうなほど強く学ランを握っていて、顔のすぐ横に垂れた髪からは知らないシャンプーの香りがする。
その全てが未知で、不詳で、非現実的で。
何なんだろうか、この子は。
くれぐれもよろしくお願いしますよ、と念押しの一言の後、ガラガラと戸が引かれ足音が徐々に遠ざかっていく。
「あっぶなかった~。いやー心臓止まるかと思ったわ」
宿直の先生の気配が消えた後、さっきとは打って変わって緊張感のカケラもない弛緩しきった声で先生が言った。
「先生、絶対目をつけられてるよ」
教壇の裏から這い出していく彰を無意識に目で追うと、はっと我に返って慌てて立ち上がった。
「すごいスリルだったね、ね? どうしたの?」
「……何でもない」
怪訝な顔をする彰。肩に触れると握られていた肩はまだ熱を持っている。少しずつ意識が現実に戻ってきた。
と、同時にまだ何も問題が解決していないことに気付いてそっと西沢先生に視線を送る。
先生はとっさに隠したせいかしわくちゃになってしまったメイド服を見て、がっかりした顔をしていた。
「うーん、興が削がれちゃったし、今日はお開きということで」
その一言を聞いて、僕は意を決してピンと挙手した。
「先生、ひとつだけいいですか」
「はい、神宮寺くん」
僕の真剣な表情につられたのか、これまた授業中さながらに先生が僕を指名した。彰は興味津々な様子で僕らを交互に見ている。
「どうしてこんな危ない真似をしてまで彰を夜の学校に呼ぶんですか?」
「そりゃあもう、かわいい教え子たちのために決まってるじゃない」
僕はその返事を頭の中で繰り返し反芻した。西沢先生はケロリとしている。
「じゃ、彰くんのことを頼んだよ」
「え?」
「え?じゃなくて。明日から学校に来てくれることになったから累くんが色々と助けてあげてね。なんて言ったってクラス委員長だし」
「待ってください。そんな話聞いてませんけど!?」
「わーい、よろしくね累くん。いや、累ちゃん?」
「そういうのやめろよ!」
きゃー怖ーいとわざとらしい声を上げながら、彰は先生の影に隠れたので僕は手を出せなくなってしまった。
へーえもうすっかり仲良しじゃん、と先生は乱暴に肩に腕を回してきた。纏わり付いた煙草の匂いに顔をしかめていると、先生はこっそり耳打ちしてきた。
「分かってると思うけど、彼女、じゃなくて彼も色々事情があってあの格好してるから、本当に頼んだよ。これは累くんにしかできないお願いだから」
こういうところが本当にずるいと思う。そう言われるとはい、としか答えようがないじゃないか。
僕の返事に満足したのか、先生はにっこり笑って僕を開放した。
「言っとくけど、今日のことがバレたら私も君らもエライことになるから。絶対にほかの人に言っちゃダメよマジで。先生、先生でいられなくなっちゃうからね」
はーい、と彰が無邪気に応え、僕も渋々はい、と言うのを辛抱強く待ってから、ぱんと手を叩いて先生は宣言した。
「それじゃあ、帰りは行きと同じく裏手のフェンスから。間違っても正門や宿直室の近くへは行かないように。では、これにて解散!」
*
まるで悪い夢のようだった。夢なら覚めてほしいと願ったが、歩道ブロックを楽しそうに渡る彰の顔を見る限り、被服室でのアレは紛れもなく現実の出来事だったらしい。
「今日は来てくれてありがとう。楽しかったよ」
「僕は全然そんな気分じゃない」
西沢先生の疑惑を明かすつもりが夜の学校に無断で侵入し、メイド服を着せられそうになり、おまけに不登校生徒の世話まで押し付けられた。嵐が過ぎ去っていった後のようだ。
「学校へ行ったら、毎日こんな風に楽しいのかな」
被服室での楽しげな様子から打って変わって彰の声のトーンが下がった。
「いいのかな、本当に学校行っても」
「いいに決まってる」
え、と彰がこちらに振り向く。
「君も僕のクラスの一員だし、周りの目を伺う必要なんてない。胸を張って自分の席に座っていればいいんだ。何か困ったことや不安なことがあったら遠慮なく相談してくれたらいい」
僕の言葉を聞いているうちに、彰の表情がみるみる明るくなっていく。それを見ると何だか頬が熱くなり、急かされるように言葉を重ねた。
「行きたくないというのなら来なくてもいい。無理やり学校に引っ張っていくことはしない。でも、他人に引け目を感じて手を伸ばすのをやめるような真似はするな」
「どうして、そこまでしてくれるの?」
彰は歩道ブロックから下りると、覗き込むように僕の顔を見た。
「それは、」
教壇の影で息をひそめていた時と同じような真剣な目を向けられて、一瞬、言いよどむ。
「それは、僕がクラス委員だから」
自分でもわざとらしい咳ばらいをしながら念押しをした。
「いいか、勘違いするな。それ以上でもそれ以下でもないからな」
決してこいつが心配だからとか、そういうんじゃない。
僕が、僕であるためにやるのだ。
それだけだというのに。
「ねえねえ、学ランとセーラー服、どっちを着ていったらいいかな?」
「どっちでもいいんじゃないの」
「えー投げやり。もっと興味持とうよ」
ふいと顔を背け、歩道ブロックに飛び乗り歩き始める。興味のないふりをしているのを悟られないように。
「彰が好きな方を着ればいいよ」
「ダメ。累くんが選んで」
ぽつんと明かりが灯った街灯が、彰をスポットライトのように照らしている。
不登校とか、女装している理由とか、どんな家庭環境なのかとか、これから少しずつ知っていければいい。正体が分からないなら解明していくだけだ。
常識の外からやってきた笑顔で、早乙女彰はそこにいるのだから。
「明日からよろしくね」
両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、こちらに会釈を返す姿がいつまでも頭から離れなかった。
(終わり)
*
人物メモ
神宮寺 累(じんぐうじ るい)
中学2年生。男。クラス委員。眉目秀麗のおかっぱ頭。長期出張の多い両親に代わり、礼節に厳しい祖母に面倒を見られて育つ。中学2年生男子の平均身長よりも身長が低いことを気にしている。
早乙女 彰(さおとめ あきら)
中学2年生。男。いつも女装をしている。母子家庭の豪邸住まい。母は芸能関係の仕事で家を留守にしがち。不登校だが通信教育をやっているので頭は良い。ストレートの髪はウィッグではなく地毛。
西沢 かもめ(にしざわ かもめ)
27歳独身女性。累と彰のクラス担任。ロングのくせっ毛で黒縁眼鏡をかけている。アパートで一人暮らし。部屋は汚いが煙草を吸うときはちゃんとベランダに出る。衣装づくりが趣味だが、着せ替えしていた姪っ子に嫌がられるようになってしまったので代わりのモデルを探していた。
*
あとがき
こちらは逆噴射小説大賞2021に応募した作品の完成版です。今年はちゃんとした作品を書けずじまいだったので何とかやっつけられてよかった。他にも盛り込みたいアイデアやシチュエーションはポツポツあったのですが、「今夜、接近遭遇に染まる。」のタイトル通りファーストコンタクトはしっかり書けて満足したので、とりあえず今はここで筆を置きたいと思います。クリスマス要素がないのは勘弁な!
昨年参加した際に執筆したクリスマスパルプ『旋光のスティグマ』は無数の銃弾 VOL.4に掲載予定ですので、そちらもよろしくお願いします。
明日お送りするのは、のりもんさんの『人喰らいの牙を折れ』です。
お楽しみに!
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