対極する現実と虚構―「展覧会 岡本太郎」「展覧会 タローマン」
あの「TAROMAN」の衝撃から半年あまりが経過した。全話が放送された後も、あの芸術の巨人は一過性のブームのように過ぎ去らず、突発的に展示会を開催したり、歌番組に出演してアーティスト一同を困惑させたり、超復刻版という体でかるたやソフビなどのグッズが発売されたり、「タローマンヒストリア」とかいう特番で存在しない前番組が捏造されたり、十二話しか放送されていないのに全三十話のストーリーガイドが収録されていると謳うムック本が出版されたりと、未だに虚構が現実を侵食し続けているのが現状だ。
タローマンファンはそんな動きを面白おかしく見守り、あるいは積極的に加担してムーヴメントを持続させてきた。だが、誰もは一度は考えただろう。彼らはいったい、このモキュメンタリー的な試みをいつまで続けるつもりなのか? 既に深い事情を知らない一般人からはタローマンが本当に実在する特撮番組だったと錯覚している者もいる。これがもし単体の映像作品であればエンドクレジットの終わりに(この作品はフィクションです)と一言添えれば良い話だ。だが今のところ、この集団幻覚にピリオドが打たれる気配はない。
いったい何が彼らをここまで駆り立てるのか?そして、岡本太郎という男は何者なのか? 謎を解明するべく、我々は「展覧会 岡本太郎」へ向かった。
展覧会 岡本太郎
「展覧会 岡本太郎」は映像以外は全ての撮影OKであるため、展示されている作品はほぼ全て写真を撮ることができる。それぞれの作品には解説も掲載されており、太郎本人が生前語ったメッセージも掲示されているが、個人的にはそれらよりも作品そのものを目にすることの方が重要であるように思う。
鮮やかな原色やはっきりとした輪郭線が特徴的に見える岡本太郎作品だが、実際に現物を見ると、原色部分も単一的で塗り潰されている訳ではなく、油絵特有の厚塗りによってグラデーションがかっており、何度も丹念に筆を重ねたような細やかな仕上がりを見ることができるし、何より太郎は普通にめちゃくちゃ絵が上手い。
抽象画チックな代表作品群に惑わされがちだが、岡本太郎は真のPROなので写実的な絵も当然描くことができ、キャンパスの中で抽象、写実を同居させつつ相反するモチーフを描くことで、絵画という静的な作品でありながら緊張感と躍動感、そしてエネルギッシュな爆発力を与えることを実現している。これを普通にやろうとするのなら、相当な構図バランスを持つ歴戦の戦士でなければあっという間にとっ散らかってモチーフが瓦解することだろう。
太郎のはっきりとした原色使いや輪郭線も作品へ向けられた強靭な意志の現れであり、「なんかこう・・・フワッとした・・・雰囲気や・・・メッセージ性を・・・見た人に・・・汲み取ってほしい・・・」のような軟弱なバターコーヒー野郎とは対極に位置する。それはある種の怒りであり、絵画を介したコミュニケーションであり、生前語った「ぶつかり合う者同士だからこそ調和が生まれる」という言葉に思想を見ることができる。
後年ではキャンパスにあえて余白を残すことで絵画に立体的な奥行きを生み出し、よりシンボリックで鑑賞者の心に強く訴えかけるような作品が増えてゆく。筆使いもショドーのような荒々しいものが目立ち、太郎が思い描く芸術性が精鋭化していった現れではないかと思う。
この展覧会を語るにあたって、来場者の層について言及しなければならない。圧倒的に子連れのファミリー層が多いのだ。そして子どもたちは、我一目散に岡本太郎作品に駆け寄っていく。「わ〜『駄々っ子』だ!」「『疾走する目』かわいい!」「見て見て、『未来を見た』だよ!」などといった風にだ。これはすごい光景である。
奇獣のモデルになった作品を指差し、嬉々と両親に語る子どもたちを見ると、かつての怪獣ブームに子どもたちが夢中になったという話はこういうことだったのかと、非常に感慨深い気持ちになる。奇獣(怪獣)はヒーローのやられ役ではなく、子どもたちにも愛される存在なのだと。それは岡本太郎が目指した「個性的なものの方がむしろ普遍性がある」「芸術は大衆のもの」という哲学が2023年においても生きている証ではないか。見る者に強烈な印象を与える作品群を、子どもたちが真剣なまなざしで見つめる様を見て思った。
展覧会 タローマン
さて、タローマンである。
正直なところ、岡本太郎作品を目の当たりにした後だと奇抜に思えたタローマンも幾分か大人しそうに見えてくる。逆に言うと、あのタローマンですら岡本太郎本人のでたらめでべらぼうな立ち振る舞いには太刀打ちできないのかもしれない。安易な模倣・パロディでは薄っぺらな二次創作にしかならず、それは作者へのタイヘン・シツレイにあたることだろう。故に「真剣に、遊べ」という姿勢の表れが70年代特撮番組というフォーマットなのだ。
NHK名古屋放送センタービルの入口で怪しげな露天商の如く屋台を構えるタローマンに出迎えられ、向かった先には特設ブースでゲリラ開催されていた「展覧会 タローマン」。実際足を運んでみると、こちらもまたちびっこ達に大人気であり、彼らが存在しない前番組の実在しないはずの模型や制作資料を物珍しそうに眺める様はこの先二度と拝めないであろう光景だった。
未来へ
今回の展覧会を見据え、岡本太郎に関する様々な特番を見たり本を読んだりもした。元々の岡本太郎に対する興味関心があったのは事実だが、それを大きく後押ししたのはタローマンの存在だった。ここまで岡本太郎と向き合うことはタローマンなくしてでは10年は遅れたに違いない。
だが、タローマンの何よりの功績は、子どもたちに岡本太郎作品へ触れるきっかけをつくったことだろう。深夜帯に放送され、インターネットの片隅を騒がせていたに過ぎなかった特撮パロディ作品が、まさかここまでちびっ子たちに受け入れられることになるとは誰が想像しただろうか。実際に展覧会に足を運ばなければ一生疑っていただろう。
岡本太郎曰く、「芸術とは一部の人間の高尚な趣味ではなく、公共の大衆に親しまれるべきもの」だという。であるならば、岡本太郎の作品を下手に持ち上げず、面白おかしい特撮ヒーローや怪獣に仕立て上げたタローマンという番組もまた太郎の思想を継承した作品だと言えるのかもしれない。
それに、虚構から現実を学んでいくのは何も今に始まったことではない。ウルトラマンやウルトラセブンでは現実の問題がテーマに挙げられたこともあるし、フィクションというフィルターから我々の住む現実世界を改めて見直すことは、ずっと昔の創作から存在する視点でもある。
であるのならば、このムーヴメントを目撃した一員として、現実と虚構の間ででたらめでべらぼうな振る舞いを見せるタローマンの行きつく先を見届ける義務があるのではないか。今回の展覧会を通して、強く思う。
(終わりです)
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