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ダニエル探偵助手の怪奇事件調査ファイル FILE No.1

インディアナ州。ダウンタウンから30マイル程の廃工場。

「それで、ダニエル君、だったね。ここで何をしていたって?」
「ですから、調査ですよ調査。ちゃんと所有者の許可ももらっていますよ、ほら」
「信じられないね。とにかく、私についてきてもらう」

 渋い顔で振り返ると、近くの消火栓につまらなさそうに腰掛けている妙齢の女性は、口を開いてげぇっ、というようなジェスチャーをした。品がないなあ、と率直に思った。肩にかかるほどの艶やかな黒色の髪が風に揺れている。僕は意を決して警官に切り出す。

「それは困りますって。お巡りさんもご存じでしょう?ここの廃工場、良くない噂が立ってるの。やれ、無人のはずなのに工作機が動く音がするだの、夜中に明かりが点灯するだの」
「そんなことを信じているのかい?どれも子供の冗談だ」
「……それに一月前、ここに逃げ込んだ強盗が、タービンに巻き込まれて死んだらしいじゃないですか。錆びだらけで動く筈がないのに」
「なぜ、そのことを」
 警官の声音が変わった。
「やはり事件の関係者か。署まで連行する」
「ちょっと待って、話を最後まで聞いてくださいって!」
 手錠を取り出した警官に必死に言葉を投げかけるが、一向に掛け合ってくれない。まずい。
「ちょっと先生も何か言って下さいよ!……あれ?」
 消火栓には誰も腰掛けていない。

「ダニー!やっぱり当たりよ!」
 いつの間にか勝手に工場に入っていた先生が駆け戻ってきた。その後ろから、とてつもない破壊音を引き連れながら。
 隣で警官が息を飲む気配がする。

 先生の後を追ってシャッターをぶち破ったのは、スクラップを繋ぎ合わせた四肢を持つ、ジャンボジェットのタービンだった。タービンは凄まじい轟音を立てながら高速回転し、赤ちゃんが覚えたてのはいはいをするようにでたらめに足を動かしながらこちらに迫ってくる!

「思った通りよ!"廃工場の人喰いタービン"!正体はグレムリンだわ!」

「う、うああああ!」
 真っ先に逃げ出したのは警官だ。停車してあった警察車両目掛けて一目散に駆けていく。僕は慌てて後を追いながら後ろを振り返る。
「先生、何やってるんですか!早く!」
 人喰いタービンはまだ走り方がおぼつかないらしく、先生に追いつくほどの速さはないようだ。先生はしきりに振り返り、満面の笑みでこちらに向かってきた。この人はどうしてこんなに嬉しそうなんだろう。
 急かすようにパトカーのクラクションが鳴る。どうやら僕らを気にかける程度には理性を保っていたらしい。後部座席に滑り込むと、ドアが閉まらないうちに警官はアクセルを限界まで踏み込んだ。

「あの化け物は一体何なんだ!?」
「ぐ、軍の新型兵器とかじゃないですかね」
「そんな馬鹿な話があるか!」
「いやー、参ったわ。まさかグレムリンがあんな図体のものまで動かせるなんて」
 先生は後部窓から化け物を観察している。身を乗り出してかじりついている様はまるで子供のようだ。
「これは初めてのケースよ。帰ったら過去の調査分も見直さなきゃ」
「その前にあれをどうにかしなきゃマズいでしょう?どうするんですか!」

 警官は無線で応援を呼んでいるらしいが、この状況を説明するのに難儀している。車ならあいつの足じゃ追いつけないから安心ーーというのは甘い判断だった。

「お巡りさん!避けて!」

 先生が叫んだが、遅かった。凄まじい衝撃がはしり、車が盛大にスピンして塀にぶち当たった。脱落したドアから這い出ると、巨大な瓦礫が車体にめり込んでいる。
 タービンが追い詰めたと言わんばかりにゆっくりと距離を縮めてくる。ジャンクパーツが血流のように腕へ流動し、指の動きを一本ずつ確かめるように拳を握り込む。獲物を捉えた肉食獣のようにゴオオ、とタービンが唸り声をあげた。

 先生と警官は車の中で伸びている。幸い、目立った外傷はないようだ。咄嗟に転がっている石を人食いタービン目掛け思い切り投げつけると、石は高速回転するファンに巻き込まれ一瞬で粉微塵となった。回転するファンブレードに同期するように、僕の頭もフル回転する。
 ミキサーのように粉砕せんと迫るファンの先に、ニヤリと笑みを浮かべる悪魔が見えた気がした。いや、ただのストロボ効果だ。震える足を強いて立ち上がる。せめて先生からは遠ざけないと…!

「こっちだ!」

 挑発するようにハンドサインを掲げると、人喰いタービンはパトカーからこちらに興味を向けた。僕は敷地の出入口とは正反対に方向に走り始める。唸り声のようにファンを高速回転させ、更にたくましくなった両腕で地面を這いつくばるように追ってくる!

 この辺りは寂れた産業集積地帯だ。幸い人の通りはほとんどない。滑り込むように入ったのは巨大な鉄骨が置きっぱなしになっている鋼材倉庫。錆び付いたクレーンが遠くから響いてくる地響きでわなわなと振動し始めた。

KRAAAASH!壁をぶち破り、砂煙がもうもうと立ち込める中、人喰いタービンは僕の目の前に姿を現した。

 もう逃げ場はない。誰からも顧みられずここで死ぬのだろうか。思えば生命の危機をいくつも掻い潜ってきた。ニューヨークの下水道を駆け回ったとき、閉鎖的な農村で狂ったカルト教団に捕まりそうになったとき、失踪が頻発する街で何者かに付け狙われたとき……いつだって先生と一緒だった。
 だけど今、僕の隣に先生はいない。それはそうだ。彼女をこの化け物から遠ざけるためにここまで来たのだから。

 回転するファンは直視していると吸い込まれそうな錯覚に陥る。今までの被害者が全員頭から突っ込んだような無残な有様で発見されたという話は、もしかしたら自ら惨殺装置に身を投じた結果なのかもしれない。その証拠に、僕もまた無意識にタービンに歩み始めていた。頭の中ではマズいと警告を発しながら身体が言うことを聞かない。
 ファンの残像の向こうでニヤニヤと下卑た笑い顔を浮かべる何者かが、一層笑みを深くした。その時だった。

 ぴぃぃぃっという指笛の音が工場内に響き、危険な誘引から解放された僕は弾かれたように振り返った。開け放たれたシャッターの逆光の中に、先生のシルエットが見えた。
 着古してよれよれのコートに、光を受けてうっすらと透明感が浮かぶきめ細やかな黒髪。東洋人の血が混じった茶色の瞳が目を引く精悍な眼差し。先生は、人喰いタービンを目の前にしても堂々とした振る舞いで矢面に立った。

「先生、どうして!?」

 という僕の声は標的を変えたタービンの唸り声でかき消された。獰猛な動きで先生を頭から喰らわんとするタービンはしかし、ぐらりと突然倒れて込んできた鋼材の懸架台の下敷きとなり身動きが取れなくなった。

 その時、僕は奇妙な感覚を覚えた。先生の背後の工場出入口がぐんにゃりとねじ曲がり、天井が何処までも高くなっていくように見えた。張り巡らされた柱や梁が枝葉のように広がってゆき、どくん、どくんと鼓動のようなリズムが聞こえてくる。口の中がカラカラになり、無いはずのつばを何度も飲み込む。全身の筋肉が緊張し、彫刻になったかのように動けない。
 もし一歩でも動いた瞬間に、目に見えない均衡が崩れ、取り返しのつかないことが起きてしまうのではないか。汗がとめどなく流れ、心臓が破裂しそうなほど脈打っている。

 鋼材の下敷きになってもがいている人喰いタービンは徐々に痙攣するように暴れ始めた。体を構成していた幾百、幾千ものボルトが地面に締まってゆき、その巨体が磔にされるかのように縫い付けられていく。あれほど恐ろしい存在だった人喰いタービンが別の何かに恐怖している?一体何に?
 思わず嘔吐いてしまうような強烈な臭いーーあのニューヨークの下水道よりもずっと酷い臭いだーーがあたりに充満し始めた。視界には何も映っていないはずなのに、何かが身じろぎする気配を感じた。

 ボルトを引きちぎり、もがいてこの場から脱せんとブチブチと手足ごと引きちぎりながら立ち上がったタービンの真上で、ぎぃぃぃぃ、というこらえきれない笑みのような、不気味な音が聞こえた。次の瞬間、タービンの胴体を大質量が刺し貫いた。悲鳴のような破壊音を内側から響かせ、ファンの羽が何枚も宙を飛んだ。

 先生は微動だにせず、天井梁から吊り下げられていたはずの、そして今は人喰いタービンに深々と突き刺さった何本もの鉄骨を見つめている。
 つられて上を見ると、タービンを貫いた鉄骨にまとわりつくように、実態を持たない異形の影が工場の壁面に映し出されていた。その者は憤怒とも愉悦ともとれるような、超常の笑い声を響かせると、恐ろしい力で人喰いタービンを背中を切開するかのように鉄骨を引き廻した。
  タービンは断末魔のように残ったファンを回転させた後、鉄くず製の手足がビクビク痙攣し、やがて力無く項垂れた。ジャンク品に還ったのだろうか。そこまで確認する処理能力は僕には残されていなかった。

 壁面に投影された異形の影は蠢き、振り返るような動きをとる。
 人間よりも数の多い毛むくじゃらの腕。
 頭頂部から真上を向いて突き出たワニのような巨大な顎。
 背から生えていると思しきコウモリの羽のような構造物。
 粘着質な液体を撒き散らしながら四方八方へ暴れ回っている紐状の物体。

 体のあらゆる細胞が危険信号を発していた。これ以上あれを視界に入れてはいけない。目で、鼻で、耳で、口で、肌で、脳で認識してはいけない。それだというのに、何もかもが自然の摂理に反している吸い込まれそうな巨大な影に、僕は憑りつかれたかのように魅入っていた。

 かつかつと先生のブーツが立てる足音が近づいてくる。うるさいな。僕は今真実に辿り着こうとしてるんだぞ。真実、真実。そう、誰も知らない。この世界の裏側に潜む真の支配者を。ああ、人間なんてどんなにちっぽけな存在なことだろうか。願わくばもっと近くに。そして真実を。真実を。真実。真実。

「ありがとう、私から遠ざけてくれて。おかげで間に合ったわ。 ダニー、あとは任せて」

 ふわりと先生の手が僕の頭を撫でた。その温かな感触と体温とともに、僕は心臓が力強く血液を体中を巡らせている感覚を思い出した。そしてタービンの残骸へ、影の正体が存在しているであろう地点へと歩んでゆく先生のうしろ姿を最後に、僕の記憶は途絶えた。


ーーー


 はっと目を覚まし飛び起きると、したたかに頭を打った。紫煙の香りが鼻をくすぐる。いつの間にか先生の車に乗せられていたようだ。細い煙草を燻らしながら、先生は気だるげにハンドルを切る。

「目が覚めた?」
「先生、あの化け物は!?」
「ダ二ー、君って華奢に見えて案外重かったんだけど。車に乗せるの苦労したわ」

 すみません、と反射的に謝ってしまったがそうじゃない。なおもバックミラー越しに訴えるように先生を見ると観念したように口を開いた。

「ひとまず一件落着よ。もうあの辺りに怪奇現象が起きることはないわ」
「でもどうやって…?先生が何かしたんです?」
「私は何もしてないわよ。ただちょっと”お願い”しただけ」
「お願い?」
「あの子、最近好き勝手してたみたいだからみんな耐えかねてたみたい。だから𠮟ってやってって”お願い”したの」
「一体誰に?」
「それは秘密」
「秘密って…」
「ハイこれ以上はおしまい。帰ったら報告書にまとめて頂戴。答え合わせはその時に」

 いつもこうだ。これまで少なくない数の怪奇事件に遭遇し、そのどれもが核心にまで触れられずじまいのままだ。今回のように何かーー何か恐ろしいものを目にした気がするが、肝心の部分の記憶が欠落していることも数度あった。そんな状態で報告書を書いても真相は闇の中だと締め括るほかないというのに、先生は面白おかしく僕の目の前で意気揚々と読み上げ、そして結局事の顛末は教えてくれない。お蔭で胡散臭いオカルト話を創作している気分だ。

「さて、大学まで随分距離あるし何か面白い話してくれる?いつまでもこんな寂れた道を走ってたら眠っちゃいそう」
「あの、今はそんな気分になれないんですけど」
「ねえ、お願い。さもないとここでダニーだけ降ろしちゃってもいいのよ?」

 僕は観念してため息をつく。先生のお眼鏡にかなう”面白い話”というのももちろん、巷で噂されるような奇妙な出来事ーー都市伝説だ。

「分かりましたよ。ええと、これは僕の下宿の大家さんから聞いた話なんですけどーー」


ーーー


 アメリカ西部開拓時代。それは情報を制する者だけが生き永らえる過酷な世界。
 橋のかかっていない川をどうやって渡るか。幌馬車を修理するためにどんな部品が必要か。もしくは、もっと単純に明日の天候はどうなるか。次の街まで何マイルあるのか。
 情報をより早く、より正確に。僕らのご先祖様は、まだ見ぬ未開の地を目指す道中、状況の変化や待ち受ける危険に対して備えるために、同じ志の者の”口伝え”に大いに頼らなくてはいけなかった。

 そして、ずっと時代が下った現代。第二次世界大戦の傷跡から復興し、読み書きの基礎教養や、テレビやラジオのような素早いマスコミュニケーション、自動車という移動手段を誰もが享受ようになったアメリカ合衆国は、空前の大衆娯楽時代へと突入した。
 僕らの周りに飛び交う”口伝え”は、胡散臭い、けれども奇妙で魅力的なーー思わず誰かに伝えたくなるような都市伝説へと姿を変えた。

 やれ、あのファストフード店ではチキンと一緒にフライにされた鼠をバーガーに挟んでいるとか、どこそこの家庭ではベッドの下に斧を持った殺人鬼が息をひそめていたとか、真夜中の道で拾い上げたヒッチハイカーが忽然と姿を消したとか、あるいはーー誰もいない廃工場で機械の駆動音がするとか。

 その多くは大抵真偽不明で、どれだけ熱っぽい口調で語られようと噂の根源に辿り着くのは非常に困難だ。でも、重要なのは「本当の話かどうか」じゃなくて、「どうしてそんな話が広まったか」だ。

 火の無いところに煙は立たない。もっともらしく創作されたフィクション話だってもちろんある。でも、その有象無象の中に一握りの真実が存在するんだ。UMAとか宇宙人とか陰謀論とか、そんな仰々しいものを持ち出すつもりはない。だって既に”それら”は僕らの近くで息をひそめているのだから。

 これは世界の裏側に片足を突っ込んでしまった僕と、そうした超常現象に興味本位で首を突っ込む”先生”が遭遇してきた、数々の怪奇事件の記録だ。


(FILE No.1 終わり)


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azitarou
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