10年前の今日、わたしは名古屋駅の新幹線ホームにいた。
2011年の3月11日のあの時刻、
わたしは名古屋駅の新幹線ホームにいました。
わずかに揺れた気もしましたが、
あまり気に留めませんでした。
そのあと、新幹線がぜんぜんやって来ず、
やっと来た列車に乗ったものの、
とてもゆっくりと走り、
豊橋駅で完全にストップしました。
Twitterのさまざまな書き込みをiPhoneで見て
東京が地震、混乱、帰れない
といった断片的な情報を得て、
「新幹線はもう動かない」
と考えて、自己判断で降りました。
改札を出た頃、
新幹線は今日、もうここから動かない
というアナウンスがあり、
乗客は大挙して降りてきました。
わたしは駅チカのホテルに部屋を確保でき、
部屋のテレビで、みました。
広大な田んぼの中を津波が
まるで荒ぶる神のように
押し進んでいる光景を。
夕食のために部屋を出てみると
ロビーには長蛇の列ができていて
部屋がない 大部屋 雑魚寝
といった言葉が聞こえました。
同じ日、シンガーソングライターの吉田拓矢が
どこにいたのかは知りません。
栃木出身で、今は栃木在住なので、
その頃、すでに栃木にいたのかもしれません。
彼は震災からしばらくして、
現地(震災の現場という意味では東日本全部ですが)へ
行って、いろいろな体験をしたようです。
その直後に書いた歌が、「桜」だったと聞いています。
昨年、わたしはそのミュージックビデオを編集しましたが、
歌は録音しなおすことはなく、
曲を作った当時の録音をそのまま使っています。
3月11日、開花前の桜の木の多くは
津波に遭いました。
「今年の桜は、もう咲かないんじゃないか」
そんな言葉や意見もやりとりされました。
地震と津波のあと、放射性プルームが襲い、
雪も積もりました。
それでも、桜は咲いた。
吉田拓矢は、たぶん、その現場にいたのだと
わたしは思っています。
10年前の今日以降、
東京でもずっと生きた心地がしませんでした。
余震があり、千葉では石油コンビナートが燃え、
その炎は、夜中でも自宅から見えました。
原発は何度かにわたって爆発を繰り返し、
北風の、特に雨の日は外出が怖かった。
電車の中でいきなり鼻血が出て驚いたこともあったし、
ほとんど片付けに手をつけられない部屋では
長い期間、ずっと仮眠でした。
出張で名古屋に行くと、
昼食を食べる食堂では普通に
「笑っていいとも」が流れていて、
その意識の差にも驚きました。
10年たった今でも、
あの頃の不安な気持ちは思い出せますが、
日常的な恐怖は薄れ、
震災被害への寄り添う思いも
かすれがちです。
そんな今日、わたしは
もういちど、この歌を聴きます。
映像を観ながら、心が揺れます。
そうして、もう一度、刻むのです。
数日前にも、このMVについて書いています。
そちらには、歌詞全文、
使用映像の情報なども掲載しています。
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