妖怪図鑑4:摺衣(すりごろも)
古き昔、現在の警察にあたる検非違使(けびいし)たちが身にまとっていた着物が、長い年月をかけて変化した妖怪。他人の顔色を気にする臆病な人間を見つけると、闇夜にまぎれてふわりと憑りつく。すると、憑りつかれた人間は、正義の代弁者かのように、ルールに従わない人々を、まるで犯罪者のように徹底的に糾弾しはじめるという。
「虎の威を借る狐」ということわざがあるが、この妖怪は「正義の威」をかさに着る。
正義の名のもとに、他人の不正が許せなくなる。わずかなルール違反も許せず、ときには陰で怨嗟の声をつぶやき、ときには怒り狂い、大声で怒鳴り叫んで罪を責める。
その叱責が熾烈を極めるのは、秩序を正すよりも、他人を攻撃することが目的だからに他ならない。たとえ全ての人々が法秩序を守ったとしても、今度は「マナーが悪い」「態度が悪い」と、その批判はやむことがないだろう。
日本曹洞宗を開いた道元は、弟子たちにこう語っていたという。
「どんなに偉くても、弟子やスタッフの間違いを正そうと思ったときは呵責の言葉を用いてはいけない。おだやかな言葉で、改めさせたり、すすめたりしても、従うものは従うのだから」(正法眼蔵随聞記 水野訳 P.253)
もしも、秩序を正すことが目的ならば、むしろ厳しく叱咤するのは逆効果になることが多い。それは「北風と太陽」の寓話を紹介するまでもない。
では、なぜ、他人の不正が許せないのか?
それは、憑りつかれた人間のなかに長年かけて堆積してきた無力感、劣等感、他人から相手にされなかった寂しさなどが、他人への恨みに転じ、攻撃することで他人よりも優位に立とうとするためである。
摺衣にとって、正義とは、他人を服従させるための口実にすぎない。
そもそも、正義は、金科玉条のように固定化されたものではなく、社会とともにフレキシブルに変化していくものである。
それぞれの状況を考慮しないような絶対的正義は、語りえない。
しかし、摺衣は、常に状況を考慮せず、絶対的正義を語る。
それこそ、他者不在の世界に生きている証左に他ならない。
■退治方法
①自分が憑りつかれた場合
・他人にもミスする権利を認める。
・自分の義憤が、自分の価値基準だけで生まれていることを意識する。
・他人にとっての主人公は、自分ではなく、相手だと意識する。
②憑りつかれた人を相手にする場合
・相手にしない。
・相手の土俵に乗らない。
・正義が目的ではなく、相手を打ち負かすのが目的だと意識する。