創作小説:陽炎
ーーー暑すぎる。
額から汗がこめかみを抜けて畳へ染み込んでいく。
何の変わりばえもしない天井を何時間見つめているだろう。扇風機が空気を回す音と窓から聞こえる蝉の声。窓際の風鈴もカランカランと鳴っているが、暑い。
今日は何月何日だろう。
いや、夏休みに入っているし8月なのは分かる。後にも先にも大した予定のない俺にとっては何日かなんて意識する意味も無い。
何か冷たいものはなかったか…
地面にひっついて離れないと思っていた身体もこの暑さをどうにかするためならばと、のっそりと起き上がる。冷凍庫にアイスがあったはず…
ガチャン
風鈴が落ちて割れていた。大した風も吹き込んでくれていなかったのに、このタイミングで落っこちるなんてなんとも可哀想な風鈴だ。
アイスを取りに行くついでに何かガラスの破片をまとめる袋を取らなければ。そのまま暑さでガラスが溶けて畳に染み込めば話は早いのに。
冷凍庫を確認してみると何もない。家族の誰かが食べたのか言及しようにも家には誰もいない。
…ちょっと遠いがコンビニに買いに行くか
緩み切ったTシャツと中学の時にまで使っていたバスケット用パンツを身に纏い、サンダルを履いて家を出た。
玄関から見渡す限り田んぼしかないこの町ではコンビニなんて数えるだけしかない。最寄りでも1kmくらいあるのではないだろうか。
先の道を見ても誰もいない。
ジリジリと空気が揺れている。
ボーッと見つめているだけで何か吸い込まれるような感覚に陥る。思考もまとまらない。
暑い
セミの声が鬱陶しく感じる。
歩いても歩いても進んでいる感覚がない。
15分も歩くと流石に看板が見えてきた。やっと辿り着いた。
自動ドアの前に立つと涼しげな空気が迎え入れてくれる。ああ、なんて素敵な空間なんだ。
アイスコーナーを覗き、パッと目についたバニラアイスを手に持ちレジへ。暑いから誰も外に出たくないのか、客は自分以外誰もいない。
すみませーん
無人のレジから奥の方へ声をかける。
しかし全く反応がない。
…?誰もいない…?そんなことあるのか?
10分ほど声をかけながら待ち、トイレを確認しても誰もいない。
流石にレジの奥に入るのはまずいだろうか…
いや、でもこれは異常だ。誰かが暑さで倒れているのかもしれない。
自身の行動を正当化する理由を見つけ、レジの奥へ侵入する。
…人の居た痕跡がない。
本当に誰もいないのか…?
よくわからない不安感とアイスが買えないことへの苛立ちが思考をかき混ぜる。
誰もいないんじゃアイスも買えない。万引きするわけにもいかないし、今日は諦めるしかないのか。
手に持っていたアイスを元に戻し、またあの灼熱地獄になんの成果も無く突入しなければならないと思うと気が重い。
そうだ、学校の自動販売機ならアイスがある。運動部がどうせ部活をしているだろうし中にも入れるだろう。
僅かながらの希望を胸に、学校へと歩み始める。
学校へはここから5分程度だ。大した距離じゃない。
そう言い聞かせているうちに学校の正門に辿り着いた。
うん、やっぱり開いてる。体育館へ繋がる渡り廊下を抜け体育館手前にある自動販売機へ。
…
…
…静かすぎる。
自動販売機にお金をいれ何にしようか選んでいる時にふと気づく。
野球部の掛け声も
体育館からのスキール音も
何も聞こえない。
ここまで静かだとあまりに不気味だ。
思えば今日は誰にも会っていない。
家族も、店員も、生徒も。
いくら夏休みでもここまで人と会わないなんておかしい。
不安感だけが募っていく。早く帰ろう。
ジリジリと揺れる空気を抜けて帰路に駆け出す。
はあっ…はあっ…
サンダルだから大して走れない。アイスもとっくにドロドロだ。ジリジリと歪んだ空気がまとわりついて足取りを更に重くしている。
自分の呼吸がセミの声にかき消される。
ここに自分がいるのかすら不安になってくる。
呼吸も苦しくなり、休憩がてら立ち止まって膝に手をつきながら後ろを振り返ると
…なんだ
…歪んでる
…歪んで、飲み込んでる
そこはさっきまであった景色ではなかった。道は垂直になり、田んぼの苗が地面に向かって生えている。
…"あれ"はダメだ
本能が訴えかけてくる。
不安感が危機感へと変貌し、足は前に向かって走り出していた。
…セミの声も歪に聞こえる。エコーがかった不安定なリズム。後ろは振り返ったらダメだ。
見たら、吸い込まれる。
はあっ…はあっ…
もう何分走っているんだ。家は…?まだ…?
走っても走っても変わらない景色に今更気づく。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
限界だ。
限界だ。
限界だ。
目が回り、グラグラと揺れる目の前の景色は、"あれ"のせいなのかどうかの判断もつかない。
ガッ
…地面が目の前に現れた。
…ちがう。ころんだんだ。
…じゃあ"あれ"は…?
ふとふりかえると、そこにはゆがみきったけしきg
暑すぎる
汗をかき、変わりばえもしない天井を眺め、今日もセミと風鈴の音を聞きながら嘆く。
終