『innocent world』に飛び込んで
初めて買ってもらった携帯は、ドコモのF503iSだった。
紫なのか、青なのかよくわからない色。そんな宙ぶらりんさは、思春期の始まりの僕にとっては思えばぴったりの色だった。
携帯を買ってもらった当時、好きだったあの子と「アドレス交換をしよう!」と思って大喜び。
でも、結局あの子は携帯を持っていなくて、僕のアドレス帳にはしばらく家族と悪友たちしか入っていなかった。
その頃、メールアドレスは一種のアイデンティティみたいなもので。
30文字ぐらいまでの制限があって、そのアドレスの中でどんな自分を表現するのかがかなり重要だった。
SNSのアイコンのような写真は設定できないから、その30文字が13歳の僕そのものと言っても過言ではなかった。
そうして決めた初めてのアドレスで、僕が使ったのは「innocence」という文字。
「無邪気なままで、自分の道をいくんだ!」と、中学生にしてはかなり粋がった意味を込めた。
言わずもがな、
”僕は僕のままで
ゆずれぬ夢をかかえて
どこまでも歩き続けていくよ”
という、毎日のように聞いていた『innocent world』へのオマージュだった。
念のため言うと、当時の夢はプロ野球選手。その2年後ぐらいにはすっかり誰かに譲ってしまったが。
その後、あの子とアドレスを交換できたのは、いつのことだったかわからない。たぶん、その頃にはもうあんまり好きじゃなかったんだと思う。あゝ無邪気。
でも、それぐらい時間がかかったのだ。アドレスを聞くというのは結構勇気がいることだ。
社会人みたいに名刺交換なんかないし、面と向かって「アドレス教えて」なんて言えたもんじゃない。
そんなところを周りに見られたら、すぐに「好きなの!?みんなに言うね!」と茶化される。おいおい、なんならもう言ってるぞ。
いまだったらLINEのグループで好きな子のアドレスだって知れてしまうんだろうか。
しれっとグループLINEから個人LINEに切り替えてみて。そのまま懇ろになったり、ならなかったり。なんだよそれ、羨ましいな。
でも、あのアドレスを手に入れるまでのやり取りも結構おもしろかった。
また別の時、仲が良かった友人に頼み込んで気になる子のアドレスを聞いたけど、教えてもらったのは死ぬほど喧嘩したばかりの女の子で。
意気揚々と「メールしよう!」と送ったもんだから、「わたしだけど、いいの?」なんて喧嘩してたはずなのに心配された。
ニコニコの絵文字もつけちゃって、いま思い出してもすごく恥ずかしい。
けどまあ、それもいい思い出だ。無邪気さを目指した僕ゆえだろう。
そんな失敗もひっくるめて、全部が青春なのだ。あの浮ついた日々のおかげで今がある。笑っていられるからオールオッケー、てなもんだ。
そんな、ちょっとした優しい気持ちを『innocent world』を聞いて思い出した。
自分は自分でいいか、と無邪気に振り切れた曲。
“またどこかで会えるといいな
イノセントワールド”
物憂げな6月も、もう間近だ。
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