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モヤモヤを抱えたすべての人へ

「ボールは何回パスされたでしょう」
と、その人は言った。6人の男女が黒、白のTシャツを着てチーム分けをされて、白いTシャツのチームが何回パスをしたのかという問題。そんな動画を見せられる。

答えは16回だ。しかし、話は終わらない。

「途中で黒チームの一人がゴリラに入れ替わりました、わかりましたか?」
ええ、とどよめきが起きる。その情報を入れてもう一度動画を見る。確かにいるのだ、ゴリラが。画面の右から現れ、パスをひと回しして左のほうにフレームアウトしていくゴリラの着ぐるみが。

「ちなみに、白チームはぐるぐる回りながらパスをしました。右回り、左回りのどちらだったでしょう」
そこまでくればもうパニックだ。その場にいる人はみんなお手上げ状態だった。 

ただし、 正解することが必要なのではない。

「一つのことに目を取られると、いかに視野が狭くなってしまうのかということがわかればいい」と、その人は言う。
自分が置かれている状況以外のところでも、世界は動いている。自分のことで精一杯になると、周りが見えなくなるし、あたふたとしてしまう。
つまり、そういうことなのだと。  


怒りは、そういうときに生まれやすい、らしい。
「どうして自分ばかり」というストレスを、怒りという手段で解消しようとする。
自分の目で見えることが果たして全てなのか?環境はもちろん、人の能力となれば尚更わかるわけがない。できる人もいれば、できない人もいる。  


「言われれば当然。でも、実生活だとそうもいかない」と、その人。
「怒るという行為は自分のためであって、相手のためではない」  

という言葉のところで、これまでの色んなことに後悔をした。もっとやりようはあったし、怒るという表現以外のコミュニケーションもできたはず。

コミュニケーションは、相手の受け取り方だと誰かに聞いた。本意が伝わらないのは相手のせいではなくて、自分のせいなのだ。

そんなことに気が付かされた1週間。
ありがたや、ありがたや。

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