文と被害妄想

前項から随分と間が空いてしまった。私の文にハートを付けて頂いた皆様には心より御礼申し上げる。と同時に、続編が遅れてしまったことをお詫びしたい。

統合失調症について書いたところ、友人や福祉関係者から芳しくない評価を頂戴した。
前者からは、自虐ネタを嘲笑されているに過ぎず、好ましい作家性ではない。貴様はある種の露出狂であると断じられた。
後者からはより辛辣に、私自身を含むプライベートが明かされることについて警告された。本人が特定されはしないか、家族や関係者について実名は記されていないか、などを厳しく詰問された。
いずれも私としては不本意かつ不名誉である。しかしながら、両者とも私の行く末を真剣に案じてくれているのだとも感じる。
そうこうしている内に月日は過ぎてしまった。何か書きたいとは思ったが、前述の警告が気になり、一語も入力することができなかった。
怖い。恐ろしい。膝が揺れ、手が震える。
何がこれほど恐怖なのか熟考してみる。結果、私は笑い者にされることを酷く恐れているのだと自覚した。
幸い、実害はまだ出ていない。生じていない結果に恐怖するのは滑稽である。しかしながら、これこそが統合失調症にありがちな被害妄想の一症例なのではないか。
そう考えたら、いつの間にか文面が埋まっていた。

私は今後も笑い者になることを恐れるだろうと思う。
きちんと調べ、人に尋ね、誤解なきよう組み上げ、耳目に値する内容を提供するのが常道だとは重々承知している。感性だけで作文していたら、いずれネタ切れして自爆するのは目に見えている。しかし他方で、つらつらと身勝手な見識を書き並べる楽しさも確かに存在するのだと確信している。
友人や関係者、そして読者の皆様に見守られながら、今後もふらふらと妄言を記していければ幸いである。

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