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百寺巡礼(018)法隆寺 奈良 2022年7月24日

「法隆寺、聖徳太子の言葉に導かれて」

法隆寺に足を踏み入れたその日、私は2021年の記憶がふと蘇った。あの時、コロナ禍のピークで寺には私ひとりしかいなかった。静まり返った参道、そこにある土産物店のおじさんが私に声をかけた。「お兄さん、どっから来たの?」その問いに私は「埼玉です」と答えると、おじさんは少し警戒しながらも、すぐに笑顔を浮かべて迎えてくれた。あの頃、東京から来た人間は、どこに行ってもバイ菌扱いされていた。しかし、その笑顔には、私にとっては貴重なものが含まれていた。あの時の温かさは、今でも忘れられない。

そして、今も変わらず立ち続ける法隆寺で、聖徳太子の言葉が私の耳に残る。彼はこう言ったそうだ。

「仏教に面授という言葉がある。対面して、直接に教えを授かることである。理論だけなら書物を読めばいい。書物から伝わらない大事な物がある。人間の肉声、顔の表情、声にもある。そういう物を感じ取っていくことが大事なのだ。もし面授が大事にされなければ、人間は大切なものをなくしてしまうのではなかろうか。」

なるほど、なるほど…と、私はその言葉を胸に深く刻んだ。書物を通じて得られる知識も大切だが、それを超えたもの、つまり人と人との直接的な触れ合いや、目の前の人間の表情や声の中に宿る真実が、実は最も重要なのだと聖徳太子は教えている。

私たちは、どれほど物理的な距離を取っても、言葉を交わすことによって心を通わせ、そしてその中に存在する「大事なもの」を感じ取ることができるのだろう。言葉だけでは伝わらない感情が、顔の表情や声にこそ宿っている。人間の本質を感じ取ることが、私たちの生きる力を育んでくれる。

法隆寺の静かな境内で、聖徳太子の言葉が私に深い示唆を与えてくれた。それは、現代を生きる私たちにとっても、今一度考えさせられる重要なメッセージだと思う。


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