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Photo by
kouheiwata
百寺巡礼(034)霊山寺 四国 2023年1月15日
私は徳島の霊山寺(りょうぜんじ)を訪れた。百寺巡礼の旅の一環ではあったが、その足取りは少し特異だった。遍路道の象徴ともいえるこの地を、一巡礼者のようにではなく、ある種の観察者として訪れたからだ。
徳島市内には立ち寄らず、高松からローカル線に揺られた半日旅。鳴門の風は冷たく、冬の空気に包まれた霊山寺の佇まいは、静けさの中に何か語りかけてくるものがあった。
この寺は四国八十八箇所第一番札所として知られる。山号は竺和山(じくわさん)、院号は一乗院(いちじょういん)、本尊は釈迦如来。名前に込められた荘厳な響きが、遠い歴史の重みを感じさせる。だが、私のこの訪問に遍路の意図はなかった。ただ、この場所を記憶に刻みたかったのだ。
五木寛之はこう語っている。
「人間が生きていくということは、目に見えない遍路の旅をつづけているようなものだ。」
百寺巡礼という道もまた、どこかでその遍路の精神に触れる旅なのかもしれない。足元を確かめながら寺の境内を歩くたび、自分がどこから来て、どこへ向かうのかを問われている気がした。
忘れられないのは、その地での心温まる出来事だ。東京土産の「ひよこ」を手渡したとき、返礼としてお箸をいただいた。「ご接待」という風習の一環だったのだろうが、その気遣いの温かさが、心に小さな光をともした。
遍路を意識しないまま訪れた霊山寺。しかしその地には、目に見えない何かが刻印されていた。遍路の旅を歩むわけではなくても、人生そのものが目に見えない巡礼の旅であることを、この寺が静かに教えてくれたように思う。
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