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お店の店員さんに敬語を使わない人は、価値と対価のバランスが分かってないと思う
私は、レストランや居酒屋の店員さんに敬語を使わず、ため口や命令口調で話される方がすごく気になります。
なぜかというと、初対面だったり面識のない人に、ため口を使うことが違和感でならないのです。
ずっと昔、会社の同僚が店員さんに向かって、
「これちょうだい、あと灰皿ね」って、さらっと言ったのです。
その時私は、なぜ敬語を使わないの?と聞いたら、
「だってお金払うのこっちだから、あたりまえじゃん」って言われました。
何ともこの時の気持ちが忘れらないのですが、最近ようやく、お金を払う=偉いこと ではないことに気づき、この時の違和感の原因が分かりました。
そもそも、自分にできないことを他人にやってもらう為に、致し方なくお金、という手段で対価を支払います。お金の概念がなければ、他人にしていただいたことと、相応なことをこちらもしてあげる、いわゆる物々交換ですね、それで成り立っていたはずです。
料理を作ってもらった⇔今度自分が作るよorおいしい料理のお礼に歌を歌います、みたいな。
つまり、お金を支払う = 物を作る・サービスを提供するは、どう考えても対等です。
お金を払うこっちの立場が上、なんてのはとんでもない間違いだと思うのです。
そうやって考えると、楽して金を儲けるなど言語道断。そんなこと考えたり、実行したりするから世の中のバランスが崩れるのだと思います。
誰かが価値のあるものを産みだした結果、それに対して存在していたはずの対価(お金)なのに、何も産みだしていないやつに過剰に対価(お金)がいきわたってしまったら、せっかく生み出しても、正当な対価を得られない人が出てきてしまう。
世の中って、そうやって損得が発生しているんだなと思いました。少なくとも自分で価値を生み出しているときは、対価に合ったクオリティかどうか、しっかり考えておかないといけないと、気を引き締めるわけです。