女装とアバターと性自認
女装をはじめとした異性装や、異性の肉体を模ったバーチャルアバターを纏うことについては個々人のいろいろな思いがあるかと思います。
人によっては「(性自認が女性ではない、あるいは性的指向が同性愛・両性愛等ではない)男性の女装は、女性が女性性によって得ている承認を簒奪する唾棄すべき行いである」と見做すこともあるでしょう(俺は当然このような見解に対しては否定的です)。
特に男性の女装に関しては、元々当人の性自認と関係なく学生の文化祭などのノリで行われたりしやすい印象がありますし、SNS上において行われる女装画像投稿についても人によってはその延長線上にあるのではないかと感じています。
そういった手段によって承認を集めることについて思うところあるという感情自体はわからなくもないですが、かといって性自認・性的指向と無関係に行われる異性装を否定したくもありません。なぜなら「本物」かそうでないかを当事者以外が判断することこそ傲慢であるからです。
ただ異性装やバーチャルアバターによって「異性を理解する」ことができるか、については疑問符が浮かびますし、たまに耳に入る「異性アバターで活動したことでセクハラの怖さがわかった」といったようなお話については正直なところ「ホントかよ」と思ってしまう部分も無くはないです。
どれだけ異性のアバターを身にまとって異性に近づくことができ、その結果として異性の肉体を持つことによる正の側面だけでなく負の側面についても知ることができたとして、真の意味で異性の苦しみを理解することまではできないと俺は思っています。
しかし、元より人は他者を完全には理解できないのだから異性のすべてを理解できないということもまた「悪しきこと」や「恥」ではないとも考えています。
ネットアバター社会の個人的な理想像
俺の理想は誰もが自身の生まれ持った性別や性自認と異なる性の身体を模したアバターを纏うことに対して後ろめたさを感じたり他者から糾弾されたりしなくてよいアバター社会の到来であり、要するに「ネカマだのネナベだの言うのはもうやめにしようや」ということに尽きます。
俺にとってはweb上で異性のアバターを纏いながら大手を振って活動できる環境こそが重要で、だからこそVTuberという表現手段を選んだ部分も少なからずあります。
一方でアバターを介した恋愛や性愛は俺自身としては主要な問題ではないので、これからのネットアバター社会におけるそういった方面についての議論はそれを行いたい人同士が行うべきであろうと思います。
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