きずとも通信#5 「あるべきだった過去」を俺はいかに取り戻せばよいのか
ヒトの存在価値は「過去」で決まる
あるべき形であれないあなたのそばに、痣身ユフィです。
今回は「俺」自身がいかに「あるべき形」でなかったか、というお話です。
過去はヒトの存在価値を決定付けます。
価値のあるヒトになるために望ましい幼少期、望ましい青春、望ましい社会進出の形があります。
真っ当な家庭に育ち、友人たちと学校生活を過ごし、恋愛やセックスをし、親に言えるような就職をし、結婚をし、家族に感謝しながら生活を送る。
当然、学校でいじめられるだとか学業についていけなくなってドロップアウトするとか、親に見せられないような絵を描くことを生業としたいと願いそれを目指そうとするとか、妥協して全く異なる業種に就職したはよいものの精神に不調をきたして退職し、終いには引きこもりになってバーチャルYouTuberを始めるなどということがあってはならない。
そうした「あるべきだった過去」を持たないヒトが尚も生き続けようとすることがいかに惨めか、俺を見ている方はお分かりでしょう。
過去は変えられないからこそ今を全力で、あるいは未来のために生きよう、といったメッセージは受容されやすい印象がありますが、「俺」はそうは思いません。
望ましい過去を得られなかったヒトが足掻いたところで、過去は変えられないからこそ、何をやっても駄目。それが「俺」の導き出した結論です。
幼少期を取り戻すための玩具趣味、思春期を取り戻すためのエログロ
一時期、俺は90年代後半から2000年代初頭にかけて発売されたさまざまな玩具を収集したり、
幼少期に放映されていたものの当時は地方の関係で見ることができなかった、あるいは見ていたけれど記憶が曖昧だったというようなテレビ番組を配信サービスを通じて見たりしていたことがありました。
単純にネット上の玩具レビューサイトなどを見て興味を抱いたという以上に、俺にとって「あるべきだった」幼少期を取り戻す作業だったのでしょう。
また「俺」は元々過激なエログロ系コンテンツを嗜好する部分が少なからずあり、一時期一人暮らしをしていた頃はそれが顕著でした。思春期にホラー画像を集めたコンビニ本を読む、自慰行為を行うといった行動を「犯罪者になる」「殺人があってこんなものが見つかったら疑われるのはお前だ」などの言葉で抑圧されていた身として、後ろめたさがありながらも「俺はこれが好きなのだ、これを好きであることは今更変えようがないのだ」と自らに言い聞かせていました。
だから「あるべき形」であれないことを肯定しよう
あるべきだった過去。望ましい理想的な生き方。そうしたものからかけ離れすぎてしまった俺が、なお生きていてよいとするなら。
あの日の「俺」が「誰か」からかけてほしかった言葉を、「痣身ユフィ」となった今の俺が、同じように「あるべき形」であれなかった「誰か」に向けて語ることで辛うじて自身の存在価値を保つしかないのではないか。
それこそが「あるべきだった過去」を取り戻すために俺がとれる最良の手段、あるいはもはやこれしかないという唯一絶対の方法なのです。
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