note見出し画像_日記

今でも「エロを描く自分」が「正しい」とは思えない

 ここ数日Twitterタイムラインなどを覗いていると某漫画(のイラストを使用したポスター)周辺に関する言及が目に入ることが多くなってきています。
俺自身はもちろんアレが「悪い」とか「公共の場に相応しくない」とは微塵も思っていませんが、アレを叩いている側の論に対して肯定的なpostであったり、あとはこういった問題になると必ずpopするエロ文化全部燃やすべき的なノリのアカウント群から発せられる言葉の数々に対してはやはり肩身の狭さを感じたり、
「かつての自分はなぜ一度でもエロを描きたいなどと『思ってしまった』のか?(俺が『正しい』と思っていようがいまいが)「正しくない」とされる道を行くことに憧れを抱いてしまったのか?」
「『エロを描く』ことにしか自身を取り巻く諸々から救われるという希望を見出せなかった(当時の)自分はあまりに浅はかだったのではないか」
といった後悔の念を抱くことはあります。

要はこういうことなのですが

↑もう二ヶ月以上前の(プロデューサーさん名義での)postですが、ここ数日間のアレに対する俺の心情としてはこれと変わりないので一応貼っておいています。

 今回のことに限らず、日本漫画・アニメの二次元絵を「性的消費・客体化etc」ひいては「加害」として問題化している人々の言説のうち、明らかにモラハラのメソッドを用いたものなどに対して真面目に取り合う必要はない、ということ自体はわかっているつもりではあるものの、
かといって「俺が『加害者』であることをやめなくてよいのか?」という疑問は未だにあり、
要は「俺はこれまでもこれからも『加害者』であり続けるし『加害』をしていくぞ」というある種の開き直りが未だにできていないのだと思っています(交流のある方々からは『そもそもそれは加害ではない』という言葉も頂けましたし、励みになりました)。

 こういったことについて意図的に考えず、(Twitter上や各種投稿サイトを活動拠点とする他の18禁絵師のように)のびのびとエロを描けるようになるには年単位でリハビリのようなものが必要なのでしょうし、かといって現状(や年齢とか)を考えるとそう悠長なことも言っていられないのではないかという焦燥感があるのも否めません。
それでも「かつての自分が本当にしたかったこと=『過去に個人サイトやBlogやpixiv等で見たあのエロ絵師のような絵を描くこと』がしたい」という思いはあるので、それができるようになるかはともかくとして少しずつ毒を抜いていくことはしたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?