「痣身ユフィに物語はありません」

と書くとなんだか違う人が浮かびそうですが今回はそういったお話をします。

ある薄暗い森の中にあるエルフの集落を追われた少女ユフィ
自らの顔に傷をつけ体を焼いた憎く忌まわしい者たちへの激しい憎悪一つの望みを抱きながら彷徨い続けた彼女は「嘆きの丘」と呼ばれる土地に辿り着き、
そこで出会った人間の庇護を受けながら"ある決意"が固まるまでの時間を過ごすことになる。

これは第一回動画や稼働初期のTwitter等でも部分的にお話しした、いわば「痣身ユフィとしての物語のあらすじ」に相当するものです。
といっても第一回の時点では独自用語をあまり使わず、できるだけ簡潔に済ませたかったので「嘆きの丘」という地名すら出していませんでした
それに俺はこれ以上の「物語」であったり到達すべき結末といったものをそもそも用意していなかったのです。

その他、設定まわりでも多少の変遷がありました。
例えば「痣身ユフィ」というのは一種の芸名「ユフィータ・(任意の苗字)」という本名があることにすべきか?など。あとはバストサイズなんかも最初期のお色気路線を前面に押し出していなかった頃は明確な数値を設けてはいませんでした。
最終的にVTuber活動をするにあたっては「キャラクターとしての設定」は少ないほうが(用意したとしても多くは語らないほうが)いいのではないかという考えになり現在に至ります(が、バストサイズは決めた)

物語性と配信ブーム

俺がVTuberという形を選んだ最初の目的は物語性を持った表現ではなく、あくまで「『顔出し』では語りにくい話題について動画媒体などで発信する手段」としてでした。

一時期は他のVTuberの方々の動画を見た影響で物語性を持った動画表現や複数のキャラクターを用いた掛け合い形式の動画に対する憧れのような感情が強くなり、また「欠けている」とされたエンターテイメント性をどう補うかという部分に苦心し、上の画像のような新キャラクターを投入して徐々に物語性を強めていったり掛け合い形式の動画作成を行う案も浮かんでいました。
しかし上の三面図を描いていた頃は投稿動画でなく配信活動を主体とされる方々が企業勢・個人勢を問わず増加傾向にあった(と同時に投稿主体であるべきか・配信主体であるべきか論争が頻発していたようにも思える)時期で、俺も動画投稿の形式だけに拘る必要もないのではないか?と感じており、Live2Dにしろ3Dモデルにしろ俺のほかにもう1キャラ分作ったうえで動かす手間などもあり、結局のところ現時点では実現していません。

俺にとって望ましい物語とは

そもそも「VTuber」としての活動を踏まえるなら物語や設定といったものを強固に付与しすぎないほうがよいのではないか、という考えのもとで初期から現在まで活動していましたが、
一部のVTuberの方々の伸び方、あるいはTwitter等で俺について言及して下さっている方々のpostを見ていると、俺にもある程度の強度を持った物語が改めて必要になるのではないかと思えています。
その場合俺にとって望ましい物語とはいかなるものか、今一度考えなくてはならないでしょう。

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