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どうか、生き抜いて。

るるいえのはこにわ 断章3『タムケ=ハナムケ』終演しました。本当にありがとうございました。


「どうか、生き抜いて」

作中で伝えたかったのはこの言葉だった。

しかし、これが絶対的に正しいと盲信しているわけではない。綺麗事と言われればそれまでかもしれない。

それでも、これだけが本物なのだ。この想いだけとその根本にある思想だけが本物で、この世にあるそれ以外のものは全部偽物なのだ。

私が間違っていて、「死ね」と「死にたい」とそのうち遂げられる身だとしても、この言葉だけは言わねばならなかったのだ。


amazarashiは「どうか、生き延びて」と言っていた。

私の潜在意識はこの言葉を憶えていた。
分かっていて、なおこの言葉を書かねばならなかった。

「生き延びて」ではなく「生き抜いて」と私が言ったのは、「生き延びる」が消極的な意味に聞こえたからかもしれない。

消極的でいい。
逃げていい。
実際私は逃げている。

世界が完全に悪いのだから、逃げるのは悪いことじゃない。
この最悪な世界でも、あなたにはどうか生き延びてほしい。
これも本当のことだ。

秋田ひろむの否定という誤読をする人はいないだろうが、念のため。そんなことするわけがない。


「生き抜く」なら自分の意志だ。

世界は最悪だ。
過去は変わらない。

それでも、どうか、生き抜いてほしい。

あなたが間違っていないなら。
否、あなたが間違っていたとしても、間違った私ではないのだから。

あなたには不幸になってほしくない。
あなたには幸福でいてほしい。

すべての絶望から解放されてほしい。
すべての忍耐から断絶されてほしい。

許されなくていい。
鏡の前の自分を愛せなくてもいい。

それでも、あなたには、あなたの意志で、生きていてほしい。
あなたの意志が、あなたを死なせてしまわないように。

だから、どうか、生き抜いて。

生き抜けないのなら、それでもいいから、
それなら、どうか、生き延びて。


普通なんてどこにもない。
理解なんてどこにもない。
正しさに価値なんかない。
救いなんかあるわけない。

けれど救わねばならない。
だから、どうか、生き抜いて。

この祈りが届かなくてもいい。
私に救われなくてもいい。
それでも、どうか、生き抜いて。


2024年9月15日 薊詩乃

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