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#ケイコバ2023 に行っていました【0日目】

※これはレポ記事というよりもむしろエッセイです。


一ヶ月前の旗揚げ公演『人間農場』における薊詩乃の反省は、物語に対する反省に留まらない。

演出は俳優の上位存在ではない。
あくまで、民主的世界の中で決定権を有するに過ぎないのに。


稽古場をより良くするためのワークショップ ケイコバ!

演劇を制作していく中で、
多くの時間を過ごすことになる場所、稽古場。
個々人の意見や主張によって形作られるこの場所は、
各々が常に意識して広い目線で俯瞰し続けない限り、
閉鎖的になったり間違った判断を下してしまうことがあります。
どうすれば風通しの良い稽古場を作れるのか。
そもそも「良い稽古場」とは何なのか。
初対面の人同士で創作を行い、
稽古内容の振り返りを毎日行いながら、
参加者全員で実践し考え続ける4日間。

「ケイコバ!」説明文より

「明日も行きたいと思える稽古場をつくりたい」

稽古は確かに大変なものでもあるが、同時に、楽しいものでなくてはならない。
前回の稽古は少なくとも私にとって、つらく苦しいものであった。
しかしそれは、稽古場を運営していたこの薊詩乃によるものだった。

これでは、ついてきてくれる人がいない。

反省を踏まえた薊詩乃は、大阪市内の劇場ウイングフィールドが主催するワークショップ、ケイコバ! に参加することにした。

4日間(※2023年8月15日は台風の影響のため中止。すごく悲しい)という限られた期間で、戯曲から抜粋したシーンを作り上げていく。

演出、稽古場助手、俳優という三つの役職のうち、私は「演出」としてエントリーした。

選考の結果、無事、演出として参加できることになった。同時にワークショップで使用する戯曲のデータが送られてきた。「紙派」である私は書店でそれ(300ページ越え!)を買い、読み進めていくことにした。

稽古が始まる前にしたこと

私が演出をする際に参考にしている本がある。『演出についての覚え書き: 舞台に生命を吹き込むために』(フランク・ハウザー、 ラッセル・ライシ=著|シカ・マッケンジー=訳 フィルムアート社)である。

演出家だけでなく、俳優や脚本家にとっても含蓄のある言葉や教訓が、だいたい1ページにつき1つ載っている。当然、ワークショップの前にも読んでおいた。

どの言葉も大事なものであるが、その中にこういうものがある。

怠け者と愚か者は、どの俳優からも嫌われる

脚本に出てくる単語、フレーズ、ことがらの意味や発音は、必ず調べておくこと。

『演出についての覚え書き: 舞台に生命を吹き込むために』51ページ

さらに今回は17世紀フランスを舞台にした戯曲であったため、当時の時代背景や宗教についても調べておいた。

ナメられたくなかったのである。

この薊詩乃は、やはりまだ何者でもない。知名度なんてない。参加者としてどんな方々が来るのか分からなかったし、「もし、少しでも落ち度を見せたらナメられる」と思っていた(幸い、そんな態度の人はあのワークショップの場にいなかったと思う)。

演出家は──実力と名声がある人はいざ知らず──俳優の上位存在ではないが、だからといってやはり、毅然としていなければならない。演出家は助産師であるという有名な言葉もあるし、演出家が舵取りをしていかねばならぬのだから、不勉強では誰もついてきてくれない。

「ついてきてくれる」という考え方自体がナンセンスなのかもしれないが……まだ分からない。

そういうわけで私は、単語や歴史について調べたほか、実際にフランス語で演じられていたシーンを、ネット上で観もし、古い映画版でも観た。

演劇人諸氏の中には、「過去の上演を観るなんてとんでもない! 演出方針がそれに引っ張られてしまう」という考えをお持ちの方もいるだろう。

しかし私自身はそうは思わない。クリエイターは多くのことを知っていなければならないと思うからである。本を読まなければ、本を書くことなんてできない。舞台を観なければ、舞台をつくることなんてできない……。

そんなこんなで、準備のためにほとんど眠れないまま、いよいよ、8月14日の朝を迎える──


2023年8月15日 薊詩乃

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