これは伏線です
もう誰も愛さない。
もう誰も許さない。
そう言ったのを覚えている。
被害者になるより、加害者になるほうが良いに決まってるじゃないですか。
私に足りないものは狂気だった。
私に要らないものは信頼だった。
愛されるために言葉を書いたのか?
愛されるために薊詩乃に成り下がったのか?
違う。違った。違ったはずなのに。
私はそれを待っていた。今まで誰からも褒められたことがない。
だがそんなのぜんぶ偽物だ。今ならわかる。
私を生かすものは希望だった。
許されるという希望。
幸せになれるという希望。
同時に、希望を抱いて明日を生きようとする私が嫌いだった。
愚かしい。
いつでも死ねばよいものを「いつでも死ねるから」と言って呼吸を続けるのは私にとって傲慢さ以外の何物でもなかった。
夜に絶望を思い出して泣かない。人が泣くのは、絶望したときではなく、絶望のなかでも「すべて救われるのではないか」という希望を抱いてしまう自分に気づいたときである。
絶望のなかで人は死なない。
絶望のなかの希望に窒息して死んでいくのだ。
もう誰も愛さない。
もう誰も許さない。
もう誰も信じない。
空虚──
この空虚を空虚のまま、空虚だと思っていることが伝わるように言葉を書く。
物語を紡ごうとする行為は、生きようとする行為そのものである。
頭の片隅でつねにアンテナが回っていることすら忌まわしいが、どっかの誰かが「迷惑だ」とか言うから、仕方なく書く。
書いて、終わらせて、そのあとで完成させなければ、救済にならないからだ。
しかしこれに愛情と名前をつけるなら、瞬間、私は生を終えなくてはならなくなる。
私は怪物である。
私は人間ではない。しかしそれは、怪物であるという意味であって、怪物以外の何かであるという意味ではない!
私は怪物である。
狂気の怪物が物語をつくる。
私はすべてを伏線にするつもりである。
私はすべてを物語にするつもりである。
後ろ暗い皆さん。
残念ですが、私とともに死にましょう。
なぜ、そうするのか、それだけはどなたにも申し上げられません。いいえ、私自身にも、なぜそうさせていただきたいのか、よくわかっていないのです。でも、私は、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。直治というあの小さい犠牲者のために、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。
ご不快でしょうか。ご不快でも、しのんでいただきます。これが捨てられ、忘れかけられた女の唯一の幽かないやがらせと思召し、ぜひお聞きいれのほど願います。
M・C マイ、コメデアン。
2024年8月19日 薊詩乃