『漫画の台詞とか』
先日はちょっと情景描写のお題借りちゃってお世話になったタキさんがなにやら漫画の台詞について熱く語っておられて、納得したり、いろいろ考えたりした。
漫画の台詞は確かに刺さり方が独特かもしれないなあ。
絵があり、ストーリーがあり、その物語の一番効果的なここぞ!というところで、研ぎ澄まされて凝縮された台詞を投げ込まれるからなのかな。
あの島本和彦先生のシリーズにも名言は多かったと思う。
「心に棚を作れ!」
「男なら、やってやれだ!」
「いい言葉を教えよう。それはそれ! これはこれだ!」
ぱっと頭に浮かんだのはこの三つでうろ覚えだけど、どれもインパクトが強くて、心に刺さって忘れられずにいる。
てか、友達としょっちゅうその言葉を使って、遊んでいたからかな(笑)
ただ、それらのセリフは、あの漫画の世界の背景と切り離しては考えてしまうと、威力が半減するような気もした。
その背景がすでに僕の中にインプットされているから通用するというか、共通言語として成り立ついうか。
絵もなく物語背景もなく、単純にその台詞だけを投げ出されてインパクトで勝負……となると、どうなんじゃろなあ。
インパクトは十分単体でも確かにあると思う。
でもやはり世界観が紐づくことによって、威力というかインパクトが加速している感じは否めない。
(あとその台詞を友達と言い合いして楽しんだ記憶が働いて脳内補正で美化されてしまってる部分もあるかもしれません)
テキスト単体ではなく、あくまで「世界観」が紐づいているからこそ成立する威力、というのは、実はデザインや絵の世界だって同じで。
たとえば、漫☆画太郎の「珍遊記」とか、絵だけみたら、インパクトはあるけど、雑に見えるし、汚く見えるし、少なくともそれ単体だけでみたら、万人受けしそうなスタイリッシュな画風ではないと思う(無論、物語背景なくてもあの絵単体で好き!っていう御仁もいらっしゃるとは思うが、マイノリティであろうことは想像に難くない(笑))
で、あれが「珍遊記」の世界観と紐づくと、むしろ、あのザザ!っとして絵柄じゃなと成立しない、ていうか、むしろあれを綺麗に書かれたら弱くなるだろうし、刺さらないだろう、みたいな。
絵でも、世界観に紐づいてババーン!と印象的に成立してるっていうのは起こり得てるといいますか、結局、作品ってのは基本的にはいろんな要素が集まって、ひとつの有機的なボディになっているものだから、当然といえば当然なんですが(^_^;)
(例外はあるかもですが)
もし、絵と台詞と世界観がバラバラだったなら、これほど野太い作品としてユーザーには響かないと思われるわけで。
同様に島本先生の「心に棚を作れ!」っていうのも、島本さんのあの勢いのあるゴリオシと言っても過言ではない(失礼)世界観と物語とあの絵柄だからこそ、やられるといか、心に刺さるし、成立してるんだと思う。
まとめると、漫画の台詞のインパクトは、それ単体では弱く、絵はもちろん、その漫画の世界観が紐づいてるからこそ成立しているインパクトであると、いう仮説ですな。
(イメージでは言えば、我々は凝縮された氷山の一角を見て、そのうしろの背景をぐるぐると巻きこんでとらえるから、おいしい!と思ってしまう、みたいな)
しかし、文芸をたしなむものとして、絵によらず、長い物語によらず、緻密な世界観にもよらずに、呪いのように残る言葉を紡ぎたいという願望は無視できないものでしょう。
おそらく、そのベクトルに近いものはもう世の中にあって、いわゆる一行小説であるとか、書き出し小説であるとか、あるいは自由律俳句と呼ばれている類だと思うのだけれど。古くは種田山頭火の「まっすぐな道でさみしい」とか、尾崎放哉の「咳をしても一人」があるし、今では、又吉の本「カキフライが無いなら来なかった」や天久聖一の本「挫折を経て、猫は丸くなった」などの文芸作品が記憶に新しい。
膨大な世界があるような、くくれないような、得体のしれないような、それでも何かとてつもなく伝わるような一言を紡ぎだす。
読者はその一言から、いろいろ紐づく何かを一気に引き出され、背負わされ、生涯忘れられなくなる。
絵のある漫画とは違う刺さり方を見極めないと、たぶん難しいジャンルとは思うけれど貂蝉←(この変換がきしみだなあ(笑))――挑戦しがいはある。
『おまえら、モナカの気持ち考えたことあんのかよ?』 が、僕の中ではそのベクトルに近いかな(笑)
最近のそれ系のつぶやきは、「きしみ卿の独り言」としてまとめているけれど。まだまだ磨いていかねばなるまいて。
ちなみに、そのベクトルからもっと針を振ってしまうと、完全に意味のない語感派になってしまい、こっちも実は僕がけっこう好きでやっているんだけども(笑)
発声練習にも使っていただいたりもして。まあ、それはまた別の話ということで (´ー`)
(知ってる人は知ってる(笑))
意味をかなぐりすてて、言葉としての響きや重み、美しさ、不穏さ、シュールさ、そんなもののだけで成立してるのが現代詩にはあって、そういう現代詩が最近はようやく受け入れられるように……というか、楽しめるような知的水準に達してきたというか(笑)
それを一行くらいでずばばっとやって、忘れられない言葉を紡ぐというのは難しいけど、僕も追い求めていこうかなとは思う (´ー`)
さて、いろいろとっちらかったところで、さらばじゃ!