2024.11.19

今日は谷川俊太郎さんがお亡くなりになられた。
ご冥福を申し上げます。

振り返れば、小学校の教科書からずっと馴染みのある詩人だった。
高校に上がってから、私は合唱部に所属し、谷川俊太郎さんの詩の歌をたくさん、それはそれは本当にたくさん歌ってきた。

だから、何編か暗唱できる詩もあるくらい、私にとって谷川俊太郎さんという詩人は身近な存在であり、また雲の上のひとでもあった。

暗い精神をもって送った高校生活の中で、谷川俊太郎さんの詩は、時に太陽のような力強さで、時の星の輝きのようなきらめきをもち、時に月の光のように寄り添って私を照らしてくれる存在だった。

特に、『生きる』は私にとってとても印象的だった。
興味のある方はぜひ、ご一読いただきたい。

あとは、詳しく書くと高校がバレそうなのでざっくりしか書けないが、印象的な一節をよく覚えている。

赤いスカートをからげて 夏の夕方
小さな流れを 渡ったのを知っている


なんと言ったら伝わるだろうか。
とにかくこの一節は、情景がありありと思い浮かぶのだ。

小川のことを、「小さな流れ」と表現しているのがまず好きだと思った。
おそらく、小さい女の子が、小さな流れを渡るには長いスカートをからげて、たくしあげて、ちゃぷちゃぷと水に入っていったのだろう。
そして夏の夕方、ひぐらしが鳴いていて、水面に夕陽が反射するきらきらとした光景が思い浮かぶ。

それに憧れて、赤いスカートを買ったりなんかしていた。

合唱曲では、その音が本当にきらきらと輝いていて、音楽と言葉のパワーを感じ、歌っているのは自分たちなのに私は鳥肌が立つほどだった。

そうやって、詩の解釈とともに情感を表現する作業をしていった青春は、私にとって宝物である。
谷川俊太郎さんなしには、この青春はなかっただろう。もはや、生きている意味すらわからなくなっていただろう。

私の高校時代は、谷川俊太郎さんの詩に、存在に生かされていたと言っても過言ではなかった。

秋晴れの良い日に、老衰で亡くなられたということで、ほんとうに谷川俊太郎さんらしい最期だったのではないかと思う。

格好良い。たくさんのひとびとの胸に刻まれる詩を書いてくださり、そして私を生かしてくださり、ありがとうございました。

きっと、谷川俊太郎さん自身、天国の存在や死後の世界について考えていらっしゃったことでしょう。答えが見つかるんですね。

正直言うととてもかなしい。でも私をいつだって前向きにさせてくれた、言葉の重み、言葉のすごさを教えてくれた人生の先生が、想像でしかないけれども、よい形で最期を迎えられたというのなら、、、

亡くなった人を思い浮かべると、天国では花が咲くという。きっと谷川俊太郎さんの周りでは、絶えず花が咲いているんだろう。
これからもきっとそうだろう。

『生きる』の詩は、産婦人科に大きく飾られていた。これから生まれる命に、息吹を吹き込むように、そこに飾られていた。

谷川俊太郎さんが亡くなられたあとも、この先ずっとどこかで誰かを感動させてくれるのだろう。
その度に、天国に綺麗なお花が咲いたらうれしいと思う。そしてそのことをぜひ、詩にしてください。

ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。私のだいすきな先生、私の恩人です。

同じ時代に生きられたこと、とてもしあわせでした。

どうか安らかに。

2024.11.13  あざレあ

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