コミュニケーションの源泉ー謎の生命体ー
前回、前々回と、互いに理解し合うことと感情について書いてきました。
今回はそれらに続きコミュニケーションについて書いていこうと思います。今回でひとつの話題がひとまず終わりとなります。
今回は主に妄想の話ですので、特にあざえワールド全開になると思います。それでも良いという方は是非この先をお読みになってお帰りください(笑)
さて、日々わかりあえることに感動を覚え、感情さえ皆同じでないとするワタクシも、時には感動が薄れてしまったりわかってもらえない悲しみに暮れてしまうこともあります。
そんなときこそ妄想の出番です
妄想の準備はよろしいですか?
人類らしきものなど誰もいない、動物や慣れ親しんだ植物さえ存在しない、例えるとするならば、まだ見ぬ宇宙のような空間。
そこに自分はひとりぽつんと立っている。そこには楽しみも悲しみも存在しない。かつて感情と呼んでいたようなものは何ひとつ存在しない。
しばらくするとなにか生命体らしいものがこちらに向かってくる。得体の知れない生命体であるが、かつてのように恐怖を覚えることはない。
自分は"それ"に注目する。
そして興味が芽生える瞬間を体験する。
またしばらくして、"それ"は自分の存在に対し反応をする。
"反応をした"ということは自分はその反応を受け取ることができているのだ。
自分はその反応に対し反応をかえす。
それが何度か繰り返されるが、それは相手の反応の始終を待って始まるものではなく常に継続したものである。
そうして自分と"それ"は、ただ目の前で起こったコミュニケーションの原型のような現象を見つめ、感動と喜びを覚えるのだ。
コミュニケーションが苦手なワタクシですが、このような妄想によって、互いにわかり合うこと・感動・感情・コミュニケーションの生まれる瞬間のようなものを感じ、その儚さを再確認します。
我々が共通の感覚を持ち、理解し合い、コミュニケーションをとることができるということは奇跡に近いと考えています。
"自己"という意識があり、その他のものとコミュニケーションをとることができることはとても奇妙で、面白く、儚いことではないでしょうか。
そしていつまでもこの感動を忘れずに生きていきたいと強く願っています。
今回でひとまずこの話題は終わりです。お付き合いいただきありがとうございました。
次回以降も多くの方々にお読みいただけますよう努力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。