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風邪を引いても、市販の風邪薬はあまり飲まない。あれ?なんか今日は少しおかしいなと感じたら、早めに身体を温めて、とにかく早く寝る。どうしても駄目そうな時でも葛根湯を飲んでおけば、まず大事には至らない。

そんな私でも繁忙期が終わりに差し掛かった先々週あたりから、夜中に何度も目が覚めるようになってしまっていた。暑くもないのに寝汗を掻く日が暫く続いた。朝、起きてもなかなか疲れがとれない。私は堪らず職場に常駐している産業医のもとを訪ねた。

先生、お久しぶりです。
ーアズマさん、ほんとね。今日はどうされましたか。
実は… (斯斯然然…)
ーあら、それは辛いわね。
今日はこの漢方薬を出しておきましょう。この薬はね…

それから約1時間程、歴史的な背景も交えながら、この漢方薬に纏わる先生の長く興味深い話が始まった。

中国・金元時代に首都・開封を囲まれてしまった金朝では、城内で疫病が大流行するという危機的状況にあった。誤った治療により兵士はさらに体力を消耗させ、死期を早めていくー。そうした中、頑張り続ける体に優しくブレーキを踏ませる薬が『補中益気湯』ということである。この薬を創製した李東垣は遊郭を嫌い、酒を飲むことさえもない生真面目さと優しさを兼ね備えた天才医師だったいう。彼が作ったこの薬は、彼が生きた時代においては相当に特殊な性質を帯びたサラリとしたこの薄い薬だったという。そしてあらゆる病気は内部環境によっておこると考えから、身体の補強によって病気の侵入を防ぐことができると説き、金元医学に勃興した。

ここまで聞いていて思ったのは、漢方薬を用いた東洋医学というのは「悪いものを見つけて取り除く」「死滅させる」という西洋医学の視点とは明らかに異なるようである。またこれまではアメリカやヨーロッパにもないもので、漢方は現代医学的なエビデンスがないから認められないという人もいるそうだ。しかし三千年前から使われてきて、現代にまで残り続けている漢方薬が淘汰されていないのはなぜなのか、それでは逆に説明がつかないと私は思っている。

一度アメリカで体調を崩したことがあった。今思えば単に疲労が蓄積されたことによる発熱と風邪のような症状があっただけなのだが、その後のスケジュールがびっしり詰まっており、あいにく葛根湯も持参してこなかった。ここで寝込むわけにもいかないので、念のため病院へ行くことにした。すると私の症状を聞いた医師はすぐに飲み込むのがやっとというような大きな薬を何種類も処方してくれた。確かに熱はすぐに下がったものの何だか頭はぼーっとするし、足元もふらつくような感じがした。結局、高い診療費を支払い処方してもらった薬は飲みきれないまま、ゴミ箱行きとなってしまった。こうした経験をしたからなのか、余程のことがない限り、痛み止めも含めて、私はあまり薬を飲まない。

ただそんな私からみても、日本という国は漢方も西洋医学も元々は外来の医学であるが故に、両方の良いところをきちんと理解した上で上手く使い分けているところが非常にいいと思っている。またこれこそが、日本が長寿大国である由縁ではないかとさえ思っている。とはいえ、漢方も薬であることには違いはない。薬は所詮、薬。飲まないことに、越したことはないのである。

ーという訳で、疲れたときに栄養ドリンクを飲むような感じで大丈夫だから、きっと今のあなたにぴったりだと思うわ。

ありがとう、先生。

この漢方薬を飲み始めてからまだ一週間くらいしか経っていないが、夜は自然に眠くなるし、とてもよく眠れている気がしてい。睡眠は、やはり大事だ。そして歴史的な背景などの話をじっくりと聞かせてくれた上で、私に合う漢方を処方してくれる医師が身近にいてくれることもまた心強い限りである。来週辺り、小藤屋のお煎餅を持って先生経過の報告をしにいこう。今度はあまり長居をしないように、気をつけたいと思っている。




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