日本を前に進めるために
河野太郎という政治家に出会うまで政治に全く関心がなかった、そうした国民は多いはずだ。私もその中の一人である。SNSというものにもまた関心が薄かった。知りたい情報やニュースはTV、ネット上に溢れており、その中から自分にとって必要な情報だけを選択してインプットをすればいい。またそうして知り得た情報のアウトプットは、家族や仲間内で話していれば十分だと考えていたからだ。SNSを通じ、敢えて自分の考えや意見を公開したり、発信する意義を見出だすことが出来ずにいた。
そんなとき、あることに気付く。ニュースサイトを見ていると、Twitterに投稿された内容を後追いするような記事が目につき始めたのである。情報を早くキャッチするにはTwitterのほうが今はより早いのか…。それならと私もさっそくアカウントを作成し、始めてみることにした。さて、アカウントを作成した後は何をどうすればいいのだろう?
誰かをフォローしてみればいいのか。Twitterと言えば…そう、河野太郎だ!
“フォローする”のボタンを押してみた。これが私の「河野太郎」との出会いである。それからTwitterを介し、本をご出版されたことを知り、この著書に関連した様々な情報や楽しそうな企画を知ることが出来た。
その一つがこの『感想文コンクール』だったのである。
私も書いてみよう!
そう決めたまでは良かったが、政治活動や今後の政策等について、私は拝読して理解するのが精一杯である。感想文など何を書けばいいのか全く思い浮かばず、困り果ててしまった。日頃日常で感じたことや今の気分、そんな他愛もないことならいくらでも書けるというのに。
はてどうしたものだろう。奇を衒って大層なものを書こうとしてはいないだろうかと、自分に問いかけてみる。そうかもしれなかった。私が得意なのは正直に思った通りのことを書くことなのである。そうか、そうしよう!それはともすると「公開ファンレター」になってしまうかもしれないことを、予めお断りさせていただいた上で書き進めていくことにしよう。
著書の中で私が好きなエピソードがいくつかあるのでそれを是非ともご紹介したい。先ずは一つ目は、留学をしたいがそう簡単にはいかないエピソードだ。「自分で留学費用を貯めてからいくように」その後、ようやく承諾が得られた暁にも「日本の大学(慶應義塾大学在学中)には籍を残さず、退路を断っていくように」父、洋平氏からの厳しい言葉である。「嫌ならやめて、いつでも帰っておいで」そんなふうに甘やかされて育った私とは大違いである。世間で考えられているような所謂“お坊っちゃん”は、ここには存在しない。
二つ目は、留学先のアメリカマサチューセッツで同級生によってマイクロバスで繰り広げられる英会話のレッスン風景である。またクロスカントリー、クロスカントリースキー、陸上競技と青年らしかく青春を謳歌される姿は、今の河野氏のユーモアとバイタリティー溢れる姿と重なってみえてくる。
三つ目は、ジョージタウン在学中のアラバマでの政治活動について。ここで選挙活動の原体験をされることになるのだが、国際学部三年生になると、さらに別途、海外の大学に留学しなければならないというお話である。考えてみてほしい。留学先での“留学”である。そして東欧共産党の独裁政権下のポーランド、ワルシャワへー。
グダンスクで投獄されてしまう辺りの話になってくると、そこは映画の世界さながらである。私が当事者なら、生きるの死ぬのとパニックになった心情を長々と書き連ねるに違いない。しかし著者は目の前で起きている事象そのものと、その時の感情を淡々と簡潔に描かれている。河野氏らしいと思った。また知らない国で相手が誰であろうと怯むことなく対峙する能力というのは、決して誰かに教わって出来ることではないだろう。
もしこの本の続編が出版され、将来的にドラマや映画化されたとしたならば、きっと面白いものになるに違いない。私の中では演じてもらいたい配役も決まっている。現役の間は叶わないかもしれないが、ご本人が特別出演なんていうこともなきにしもあらずではないだろうか。私の身勝手な妄想が掻き立てられる、そんなエピソードがたくさん詰まっているのである。この日本社会の、それも政治という特異な世界の中枢にいながらにして、まるでハリウッド映画の主人公を見ているかのような錯覚に陥らせてくれるのも、河野氏ならではないだろうか。
多くの若い世代の人たちは「こんな大人になりたい」と思い、それはいつしか「こんな政治家になりたい」「こんなふうに自分たちも日本をもっとよい国にしていきたい」という思考に繋がっていくことだろう。ではなぜ彼らはそうしたメッセージをキャッチするのだろうか。それは河野氏自身がそうした思いが誰よりも強く、そうした信念を抱いている政治家であることに他ならない。
四つ目は、“デジタルと河野氏”である。現代という時代を予見していたかのような、デジタルの先駆者的存在である河野氏。1986年にはすでに全世界の事業所がネットワークにつながっていたという富士ゼロックスに入社されている。わが国のデジタル化の促進、ワクチン接種のために必要不可欠であったVRSシステム構築等の礎は、この時からすでに築かれていたのである。またこの頃から社内でテレワークを提案されており、実践されるのだが、富士ゼロックスとはいえども河野氏がテレワークの社内第一号であったという。河野氏が“第一号”といったケースのものが、日本にはとても多いと感じているのは私だけであろうか。
これまで書いたエピソードの数々は、ほんの前半部分だけに過ぎない。著者はいよいよこれからクライマックスへ移っていく。生体肝移植の話から閣僚就任後に着手実行されてきた業績について、また今後の安全保障、ポストコロナ時代における外交戦略へと話は続くー。エネルギー改革とそれに伴う規制改革、菅前総理大臣と共に推し進めてこられたカーボンニュートラル実現に向けた再生可能エネルギーの導入と課題、これらは昨年の11月30日にグラスゴーで開催されたCOP26で提起された世界中の関心事である気候変動問題にも直結している。さらには私たちに欠かせない社会保障制度と教育の問題点。特に英語教育の必然性についても書かれており、"英語ができない英語の先生が多くいる"というくだりで思わず笑ってしまった。私自身もまさに、そうした先生から英語を習ったことで、後々苦労を強いられることになるからだ。
軽快で端的。随所にユーモアも感じられ、まるで河野氏の演説を聞いているような感覚の著書である。政治に疎い私でもスラスラとあっという間に読み進むことが出来たのだ。“苦手な政治”が少し近いものになった気がしている。私には何よりも、それが嬉しかった。
明日、1月10日で59歳になられる河野太郎氏。
政治家として円熟味を増され、ご活躍されることと期待しているが、これまでの衆議院議員9回の当選、および歴任された閣僚での実績と功績を持つ河野氏に、ようやく年齢が追いついてきたというのが私の率直な感想である。“時代”もまた然りである。政治もオンラインの活用やSNSでの情報発信が当たり前となった昨今であるが、Twitterのプロフィール欄によると少なくとも12年程前から始められているようである。ワクチン接種も不安と混乱の中、私たち国民にTwitterを通じ、毎日のように発信され続けてこられた。まるで私たちの不安を一手に担い、それを払拭するかのように一日に何度となく投稿されていた。その投稿は実にエスプリに富んでおり、私たち国民への愛情に満ちていた。時に父親のように、時に兄のように、時に友人のようにー。コロナ禍で不安の絶頂期にいた私の目に、ゴルゴ30の4コマ漫画と共に、河野大臣が注射される場面の投稿が飛び込んできた。私は何も考えず、思わずリプライしてしまっていた。
『 プス…。』
これに大臣のフォロワーからはたくさんの「いいね」をいただいた。すると不安はいつしか消えていた。ワクチン接種をすることは自然なことであり、怖がる必要などは何もないということを、身をもって教えていただいたと思っている。
“時代がようやく河野氏についてきた”とお伝えしたが、これからは私たちが、河野太郎氏についていくべき段階にきているのではないかと思えてならない。著者を読み、Twitterを一度、覗いてみてほしい。またフォロワーからのコメントにも目を向けてみてほしい。私は時折、涙が出てくる。それはとても温かい涙である。幸せで優しい気持ちになるからだ。また明日もがんばろうと思えてくるのである。そんなふうに共感できる人たちと一緒に大好きな日本を前に進めるため、私たちにはいったい何が出来るのかをこれからもしっかりと考えていきたい。