藤原秀郷いもの柚子胡椒煮
史跡訪問と歴史、料理の三本立て。
栃木県佐野市を訪問。目的は佐野ラーメンではなくて唐沢山城。
関東七名城の一つで、上杉謙信の猛攻を十度以上も持ちこたえた堅固な城。
当時の城主は佐野家十五代目当主、佐野昌綱。
城という漢字は土から成ると書く。関東の城は文字通り、空堀を作り、掘った土を盛り上げた土塁を巡らした土の城が多かったが、唐沢山城は珍しく高い石垣がある。
日本一?多い苗字は佐藤らしいですが、この苗字の発祥地が佐野。
佐野の藤原氏を縮めて佐藤。
戦国乱世を生き抜いた佐野昌綱、そして全国の佐藤さんの先祖と言われるのが藤原秀郷。
その人物を祀る神社が城の本丸跡に鎮座。
唐沢山城を築いたのは藤原秀郷と言われています。その築城主を祀ったということ。しかし実は伝説。
秀郷が生きた平安時代、武士は平地に館を作るのが普通で、山城という物が作られるようになったのは室町時代。
城自体の歴史に箔を付けるために古く盛ったか。
ということで、ここからは藤原秀郷を妄想しながら料理した記録。
里芋 好きなだけ
人参 半分
インゲン 7本
醤油 大匙2
味醂 大匙1
柚子胡椒 小匙半分
鰹節 適量
平安時代、朝廷で官職にあぶれた皇族が地方へ下り、土着していったのが源氏と平氏という武士の始まりですが、藤原氏の中からも地方へ下向した者あり。それが藤原秀郷。
下野国(栃木県)に下向するのですが、それ以前、都に居た頃、怪物退治をした話あり。
近江国、瀬田川に掛かる唐橋に大蛇が出現。恐ろしくて誰も通行出来ず。そこへ通りかかった秀郷、平気で橋を横断。中央にとぐろを巻いている大蛇を踏みつけて進む。
「お待ちください」
呼び声に振り返ると、大蛇は美女に変身していた。
「私は川に住む龍ですが、子を次々に大百足に食べられています。大百足を退治してくれる勇者を探していました」
この頼みを聞き入れて、秀郷は大百足退治を請け負う。
弓矢の達人であった秀郷、夜半、橋上で弓を手に待ち受けていると三上山を七巻き半もする大百足が出現。
用意していた矢を次々に放つものの、百足の皮膚は鋼のように硬く、弾き返されるばかり。
秀郷は不思議な囁き声を耳にする。
「唾を塗れ」
その声に従い、自分の唾を鏃に付けて放つと、矢は見事に百足の急所、眉間に命中。大百足は息絶える。
御礼ということで、秀郷は切っても減らない反物、食べても減らない米俵、龍宮で作られた釣鐘を送られる。
俵を受け取ったことから以後、秀郷は俵藤太とも呼ばれる。
釣鐘は三井寺(園城寺)に収められ、平安時代末期、比叡山と三井寺の抗争の折り、弁慶が引きずって比叡山に持って帰ったと言われる。
その後、下野国に下向。ここでも目が百ある鬼ということで、そのまんまな名前の百目鬼という怪物を退治したという伝説。
こうした怪物退治の話が示唆しているのは、藤原秀郷とは物事に動じない豪傑だったということか。
怪物退治の話ばかりではなく、関東に来てから歴史的な事件で藤原秀郷は名を馳せることになる。
平将門の乱。
関東で騒乱を起こし、結果的に朝敵扱いになってしまった平将門。ついには新皇を名乗って、朝廷からの独立を宣言。
関東の武士達にも将門の元へ馳せ参じる者。
秀郷はまず将門という人物を見定めようと会いに行く。
会食中、将門は膝に零した飯を手で払う。それを見た秀郷は将門の敵に回ることを決める。
この逸話、何度聞いても何が悪かったのかよくわかりません。
零した飯を払うことなど誰でもする。誰でもすることをする者に大それたことは出来ないというのが、秀郷の判断。
よくわからん理屈。どうすれば正解?
推察するに、将門は凡人で周囲に祭り上げられているに過ぎない。新たな国を作るなどという器ではないと秀郷は考えた?
敵に回ると決めた秀郷は平貞盛らと連合して将門軍と合戦。ついに将門を討ち取る。この時も龍神の助けで将門の弱点を知ったとか。
再度、囁き声を聞いた?
圧力鍋で煮ると、人参も里芋も短時間で柔らかくなる。
余っていたので加えたインゲンもよく合う。
後入れの鰹節の出汁がよく絡む煮汁。その中に微かに感じる柚子胡椒のピリッと感。
里芋のネバネバはガラクタンという食物繊維。血圧低下とか血中コレステロールを除く効果も期待出来る。
人参でベータカロチンも補給。
将門討伐の恩賞として、秀郷は下野守と武蔵守を兼任。更に鎮守府将軍に任じられる。
鎮守府将軍、何か聞いたことあると思ったら奥州藤原氏。
つまり平泉に黄金の国を築いた奥州藤原氏は秀郷の子孫。
他にも佐野氏を始め、藤姓足利氏、小山氏、比企氏、波多野氏等々、関東に名を知られた武士には秀郷の後裔とされる氏族が多い。
関東だけではなく、都に居た頃にもうけた子孫か?近江や伊勢にも秀郷流を名乗る氏族。
代表的なのは蒲生氏。蒲生氏郷の名乗り、最後の郷は秀郷の子孫ということを示しているのでしょう。
武士といえば源氏か平氏ばかりではなく、藤原氏から発した武士団の始祖、藤原秀郷を妄想しながら、藤原秀郷いもの柚子胡椒煮をご馳走様でした。