桜キャベ円谷英二
来週よりウルトラシリーズの新作「ウルトラマンブレーザー」放送開始。それを記念した料理ということで、キャベツを煮ながら、ウルトラシリーズの生みの親、円谷プロ創業者を妄想した記録。
キャベツ 半分
桜海老 たっぷり
生姜 1欠け
塩 小匙半分
出汁つゆ カップ2 (二倍濃縮)
醤油 小匙1
味醂 大匙2
唐辛子 1本
白摺り胡麻 お好みで
明治三十四年(1901)福島県須賀川に生まれた圓谷英一が後の円谷英二。
大正五年(1916)に尋常小学校卒業後、憧れていた飛行機乗りになるべく上京。飛行学校に入学するも、飛行機は二機しかなく、なかなか搭乗出来ず。しかも死亡事故が起こって学校は閉鎖。
新たな道を探すべく、神田の電機学校に入学。学費の足しにすべく玩具会社で働いている内に、映画関係者と知り合いに。ここから映像の素晴らしさを知り。映像カメラマンという新たな夢へ。
助手をしていた頃、飛行機を使った空中撮影を誰も怖がってやりたがらなかったのを圓谷は志願。最初の夢がここで役立った。このことがきっかけで一気にカメラマンに昇進。
ところで、どうして戸籍上の本名は圓谷英一なのに円谷英二と名乗っていたのかですが、苗字の円は圓の略字ですから、まあわからなくないが、問題は名前。どうもこれは叔母が占い師のようなことをしていて、その勧めに従って一画増やした英二と名乗るようになったということ。
「この子は33歳で出世する」と叔母はよく言っていたとか。
昔の年齢は数え年ですから、満年齢だと32歳とすると英二32歳は昭和八年(1933)映画「キングコング」が上映された年であり、それに感銘を受けた英二が特殊撮影の世界で生きていくことを決めた年に該当。
占いは成就したことになる。
「キングコング」に衝撃を受けた英二はフィルムを取り寄せて1コマ1コマを分析。
やがて軍靴の響きが高まる世相になると、映画会社も軍部に協力。
その流れの中、昭和十年(1935)駆逐艦の練習生の記録映画「赤道を超えて」で映画監督デビュー。
戦意高揚映画が多く撮影されるようになり、英二が考案したミニチュアを用いた特殊撮影は引っ張りだこ。
第二次世界大戦が始まると、特撮をふんだんに盛り込んだ「ハワイ・マレー沖海戦」が公開。
戦後、これを見た米軍はミニチュアではなく本当に戦闘を撮影していたと勘違いしたとか。
そのせいか?というより戦意高揚映画に多く関わっていたという事実から戦後、公職追放の憂き目にあう。
所属していた東宝を退職。公的な仕事は出来なくなり、フリーとして「円谷特殊技術研究所」を設立したが、困窮。
それでも技術力の高さから仕事が舞い込むように。GHQの占領が終わると、それも加速。そして昭和二十九年(1954)ついに世界的にも有名となるあの映画が製作されて公開。
「ゴジラ」
これが空前の大ヒット。
原水爆の放射能が生んだ怪物ゴジラ。被爆国日本ならではの怪獣。
その後も「モスラ」や「ラドン」等の怪獣映画が大ヒット。円谷特殊技術研究所は円谷特技プロとなり、快進撃。
当時、黎明期であった新たなメディア、テレビにも進出。
フジテレビで新たな特撮番組をという意気込みから、英二は当時、世界に2台しかなかった特殊撮影の合成機「オプチカル・プリンター」を米国に発注。ところがフジテレビの都合で企画が頓挫。
キャンセルしようにも出荷された後。長男の一が勤めていたTBSに代金を肩代わりしてもらい、その代わりTBSで新たな特撮番組を製作することに。
こうした経緯から生まれた作品が「ウルトラQ」
これが現在まで続くウルトラシリーズの始まり。
「ウルトラセブン」の後、ウルトラシリーズは一時休止。その後は「怪奇大作戦」等の大人向けな特撮ドラマを円谷プロは志向?
再放送等から人気が再燃したウルトラシリーズ復活の気運が高まり、「帰ってきたウルトラマン」の製作が決定。しかし、それを見ることなく円谷英二は昭和四十五年(1970)静養していた静岡県にて死去。享年68歳。
最後まで夢だった「ニッポンヒコーキ野郎」の企画を練っていました。子供の頃に描いた飛行機への憧れを抱き続けていたということ。
白摺り胡麻をたっぷりかけて頂く。
桜海老からいい出汁が出ている。出汁をたっぷり吸ったキャベツが柔らかく煮えている。甘じょっぱい汁ですが、唐辛子の辛みがアクセントになっている。
桜海老からカルシウムやキチンキトサン、キャベツからビタミン、胡麻の抗酸化物質ゴマグリナンやセサミンと栄養も豊富。唐辛子のカプサイシンで代謝も上がる。
子供に夢を与えるウルトラシリーズ生みの親ということから、何となく柔らかなイメージを抱いてしまう円谷英二ですが、実際はとても厳しい人で、スタッフはよく怒られていたとか。仕事に厳しい職人気質な人だったらしいです。ただ、怒ったことをいつまでも引きずる人ではなかったとか。
実は特撮、つまり特殊撮影という用語を生み出したのも円谷英二。そんなことを妄想しながら、桜キャベ円谷英二をご馳走様でした。
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