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おっさんずラブが繋いだ「あっち側」と「こっち側」
このタグを辿って本文を読んでくださっている方にはもう説明不要かと思うので、作品に関する詳細は省きます。
2018年春、テレビ朝日で放送された深夜ドラマ
『おっさんずラブ』
変化球で翻弄したかと思えば最後はどストレートに愛をぶち込み、
私たちの心を散々かき乱したかと思えば最後は優しく包み込み、
たった7週間で消えてしまった、たいへん罪深く慈しみ深い作品です。
監督の一人である瑠東東一郎さんは、ご自身のInstagramの中で作品についてこうコメントされていました。
『160キロのストレートのつもりで70キロの超スローカーブ投げてます。』
『入口はBLであったり、胸キュンであったり、コメディであったりしたワケですが。そのもう一個奥にあるモノをとても大切にして、嘘付かず真っ直ぐ取り組んだ作品でした。』
(※太字は筆者編)
まさに、私が受けた感想そのもの。作り手の方々の熱量がしっかりと伝わる作品だったのだとわかり、さらに心が震えました。
さて、タイトルの「あっち側」と「こっち側」。
ドラマ本編に出てきたセリフで、いわゆる異性愛者(多数派)の属する世界を「あっち側」、それ以外の性的少数者の属する世界を「こっち側」と称していました。
最終話は、「あっち側」と「こっち側」の隔たりを乗り越えた春田と牧が結ばれる、この上ないハッピーエンドで終わりました。(プロポーズのシーンは、ここ数年見た映像作品の中でもっとも感動的なシーンでした。いまだに毎日再生して見返しています。)
この、あっちとこっちの隔たりを乗り越えた大きな愛こそが作品の核だったと思いますが、私はもう一つ、『おっさんずラブ』を取り巻く熱狂の中に、別の「あっち側とこっち側」の融解を感じました。
それは、いわゆるBLを好む層と、BLに馴染みのない層。
私は前者です。自虐的に自称すると、「昭和の腐女子」というやつです。
同じ時代を生きてきた同志の方ならわかっていただけるかと思いますが、あまり陽の当たる場所を歩いてきていません(笑)。
こんなものを好きだなんてフツウじゃない
恥ずかしくて人に言えない
親にバレたら生きていけない
この嗜好は死ぬまで胸に秘めていよう
(でもイベントには行くけどね。薄い本も買うけどね)
皆がみんなそうではないかもしれませんが、少なくとも私は、何かのジャンルにハマるたび、数少ない同志と小さなコミュニティで趣味を共有し合い、しかし日常では必死にカモフラージュして市井に紛れて過ごしてきました。(ちょっと大げさ)
その生き方が染みついていたせいでしょう。
『おっさんずラブ』が、どれだけ直球で作られた誠実な作品であっても、「BL」という言葉が(たとえフックの部分だけだとしても)チラつくものを毎週視聴しているなんて、大っぴらには言えなかったのです。
だから、3話あたりまでは、気になりつつスルーして見ていませんでした。
BLとイケメン&イケオジ俳優ごときで釣られてたまるか、どうせ腐女子狙いのキワモノ企画だろうと、ちょっと意固地になってるところもありました。
ところがです。
「面白いよね! 『おっさんずラブ』!」
そんな声が私の周囲から聞こえてきました。BLなんてまったく興味なさそうな人々からです。しかも複数。男女問わず。
これはどういうことだ?
本当に面白いのか?
それともあまりにひどすぎて笑われているのか?
ついに興味に逆らえなくなり、4話から視聴。あとは、ドボン。
しかしそれでも、SNSでの熱狂をよそに、大っぴらに「私も見てる!」「面白いよね!」「来週どうなるんだろう!」「牧と春田、幸せになってほしい!」とは言えませんでした。
昭和の腐女子の自分が、足を引っ張るのです。
これだけ多くの多様な人々に支持されている作品で、傑作であることは疑いようもないのに、自分の目で見ても面白いことはわかるのに、それでも躊躇してしまう自分がいたのです。陽の当たらない場所を歩いてきた長年の経験が、そうさせてしまうのです。
"こんなもの"が好きだなんて…
…こんなもの?
こんなものとはなんだ!?
楽しんで観ておいて、そんな失礼な言いぐさがあるか!
そこにきて、第5話のタイトルが
「Can you "Coming Out"?」
おう、煽られている(笑)
…なんかもう、だんだんバカらしくなってきました。
面白いと感じたものを面白いと言うことさえできない自分が、とても小さく思えてきました。
だからもう、牧じゃないけど、我慢しないって決めました。
だって、SNSではBLも何も関係なくドラマを楽しんでいる人たちが、あんな感想こんな感想、毎日のように語り合っている。なんて生き生きしているんだろう、なんて自由なんだろう。
そこからはアホみたいに、私のTwitterアカウントは『おっさんずラブ』への愛をひたすら垂れ流すbotと化しました。
フォロワーさんにはいい迷惑かと思いますが、自分のタイムラインは自分で作る、を信条に、好きにやらせてもらっています。
そして、こんなことも書きました。
この作品が、「あっち側」と「こっち側」をつないでくれた。
あっちもこっちも関係なく、どの性に属していようとも、所属が曖昧であっても、BL好きだろうと何であろうと関係なく、多くの人が夢中になれた。
いや、あっちだこっちだと隔たりを作っているのは他でもない自分自身であって、そんなもの本当はどうでもよくて、キョロキョロ周り見るよりも見るべきは自分の心であって、そうすれば本当に大切なものが見えてくるよ、と、そんなことを教えてもらった気がします。
つらつらと感想と自分語りを書き連ねてみれば、最終的にBL云々さえ関係なく、自分の中にあった隔たりを溶かしてしまえ、という結論にたどり着きました。
世界を一つにするのは実際難しいけれど、せめて自分自身は一つでいよう。
これが、私が『おっさんずラブ』にもらった気づきです。
本当に本当に、素敵な作品をありがとうございました。