2016年8月23日熱中症になったときの記録
引っ越したのでかかりつけ医が変わり、病歴など話した
「熱中症で搬送されて、Ⅲ度の症状出てたけど、後遺症とかあります?」と言ったら「あくまでも救急救命だから、普通は通院して検査とかしないと」
と指摘された
でも確か暫く脳神経やられてた的な、記憶と時間がおかしいので、判断力なくしてたのは確か。
ハルヒハマってたからか、リアルエンドレスエイト的にループしたり。
病院に着くいても意識朦朧とはしていたけど話せるし状態で、搬送される前は歩けていたし、傍から見たら危険に見えなかったかもしれない
救急隊員さんが強かった
ⅰ,状況
実家にいた
室内は連日室内40℃を超えていた
節約の為、エアコンをかけることは禁止されていた
ツイート内容がおかしくなっていた
8/14日までは絵を描いていた様子
救急で運ばれたのは
2016年8月24日
その前からいろいろ息苦しく感じて食事が困難になっていた
生理後だったような
意識もうろう→全身疼痛
8/20 暑いという状態が当たり前になってきた(楽になったわけではない)
8/23
台風が近づいているが気温は非常に高く、神経科のお薬がなくなっていたので病院に行こうとしていた朝でもすでに室内が37度くらい身だしなみを整えるのもままならない
風呂も入り辛い
視界にもやがかかって見えた。
母と兄は家庭農園のために雨が降らないことばかり気にしている
ずっと報道と天気予報の番組がついているリビング
オリンピックを垂れ流していた
BGMとTVの声が聴き取りにくい
TVの音は途切れ途切れに聞こえる
北海道や東京では豪雨被害
九州でまた地震があったようだ
映像が怖い
エアコンはかけさせてもらえない
スポーツ飲料を飲むのは贅沢
食事で栄養は取れるからお茶を飲むべきといわれる(節約のため)
家の中に耐えきれずよりによって午後二時頃、長袖帽子に日傘でコンビニまでポカリを買いに行く
郵便局で目的を忘れかけたり、レジで小銭が出せなかったりうまく話せなかったりふらついたり、意識もうろうとしていた
歩くと足の親指に激痛があった
ポケモンウォークをしてる人とすれ違い、この炎天下にすごいな、と印象に残った
帰宅後、全身から急に汗が噴き出して、久しぶりにまともにシャワー(水)を浴びる
リビングでエアコンをつけて涼しくなろうとする
なんかヤバイ
その後、何をしていたかはっきり覚えていないが、世界中が真っ白いフィルタをかけたようになり、走馬灯みたいなのを見る
早く倒れたいと思ったが、意識があるうちに現状を伝えようと、母兄 に「祖父と父の所に行ってきます」と言った
仏壇と母の中間でそのまま倒れる
まだ意識を失えなかった
氷枕を当て寝かされてアクエリアスを飲まされるが、のどと心臓が苦しくてそれどころではない
しばらく部屋を涼しくして体温計を探していたが見つからないらしく放置された
血圧を測られたが激痛
脈は測れないという
そんなことより救急車を呼んで欲しい
([安静]のつもりだったらしい)
救命ではない
そのまま死んではあまりにこっけいだと笑いがこみ上げてくる。
足が壊死するかと思うくらい冷たく痛くなってきて、自力で救急車を呼ぼうとしたが、ろくに声も出ないし動くことができない
母は庭に兄は二階にいた
逡巡の末、相方のAにメールで救急車を呼んでくれと頼む
携帯を打つのも痛い
意識の無かった時、臨死体験ぽい過去の記憶や変な景色を見る
『ドン!』という大きな音がきこえた
なんとなく心臓だと思ったけどわからない
救急隊の人が到着
母と兄は他の家だと思っていた
担架まで用意されたが
「トイレ行けますか?」
と言われたら立ち上がってトイレには行った
その瞬間は意識鮮明
その後はずっと夢の中のようだったが、担架を運びにくそうだった(この家は立てこもりには向いてるけど逃げ出すことが難しい)(このまま帰ってきても緩やかに殺される)等考えていた。
夢の中と言うには、同行した母とAの対応が心配で、意識はあった
救急車内で聞こえていた
心拍通常は100前後から60前後に低下
以降不整脈
血圧極めて低い
瞳孔散大
過呼吸
耳鳴り
救急隊員は何度も「エアコンをつけなさい」と母に言った。(二日後にはエアコンを止めた。)
病院は野戦病院のようで、面会謝絶で点滴を受けることになる
脱水とカリウム不足
夢なのか幻覚なのかわからない
体を失う人と看護師さんの生々しい声(幻聴)とか
点滴の音と看護婦さんの声だけを聞こうとした
面会できるようになった母の一言目は「お腹減った」
点滴が終わり、看護婦さんに「梅干しの塩分がええんよ」と言われた
「栄養のある食事を与えている」
と母が返した
だめだこりゃ、と乾いた笑いが出た
8/24
入院はできないのでいったん兄の運転で帰ることになる、待っているときに床に落ちていた虫の死体が絵に見えたが、本物だったらしい
立体物が平面的に見える
兄は肩甲骨骨折のリハビリ中に加えて、久しぶりの運転
スリリング
母は首の後ろがかゆそうだ
家の中は痛い
仏間だけは比較的マシだったからそこで寝ようとする
痛いつらいもう楽になりたい、倒れてしまいたい
母が布団をひかなければいけないといい準備を始めてしまった
止める気力もなくぼんやり待つ
なぜ我慢しているのかわけがわからなくなる
晩御飯を食べさせられた
点滴もうったし自力で食事をこなすのがつらいが、作ってくれた母に申し訳ないのでできるだけ食べる
味はわからない
8/25
生きるための正規ルートを探して何度もリセットする
世界の終わりの音や幽霊が見える
人の視界や難聴の聴覚(幻視幻聴? )
パラノイア
白内障のような視界
二次元は三次元になり
三次元は二次元に見える
何度もやり直して自分の体に戻ろうとする
いろんな人になる
死んだ人
先に死んだ大切な人ばかり
何この中二病
夢と現実の境目がなくなっている
激しい脱水状態で のどが渇いて仕方がない
言語野は混乱しきって英語しか出ない
give me water
口の中がカラカラに乾いて声もあまり出ない
身振りで訴える
母兄には手話と勘違いされ届かない
Aが部屋に来たところでほっとして正規ルートに戻る感覚
水をもらう
A宅に行ったようす
8/26 神戸から明石に移動してAと食事をしたのち美容院で髪を切り、実家に帰る
恐怖感が消えない
少し家の中が小奇麗にされてい躁状態以外にも脳の障害が現れていた模様
パラノイア、躁状態、感覚異常の自覚てんり落ち着かない療養できないチケットがあったのでAと大阪南港まで遊戯王覧を見に行く
遊戯王展はどうしても観たかった
南港についた時点で、視野が軽くホワイトアウトしそうなこと、嗅覚過敏と聴覚の異常、反復やぎこちない動きをしてしまうということに気付く
身体症状に関しては意識があったが、理性はあまり働かなくなっている
自覚もなくなっていた
クロウ・ホーガンの絵を観たとき、崩れ落ちて号泣する
体力だけはだいぶ回復していたようで(冷房も効いていたし)生きて帰れたことに感謝する
絵の前で泣きながら、冷静な部分が「なにこの茶番」とツッコミを入れる
物販も元気
会場を出てから興奮のままに喫煙室でカイトさんとⅤ兄様の絵を描く
久しぶりのスケッチブック、気持ちがいい
ATCでMと落ち合い楽しく食事をしているうちにかなり意識がはっきりしてきた
彼女との会話は違和感があまりない
言語野をあさることもなくそこそこスムーズに話せていたと思う
Mの羽織っていた真っ白な上着が人ごみの中でもくっきりと光って見えて安心した
御堂筋に着いてめまい再発
(EXILEライブ帰りの人が多かった)
景色がスモークを炊いたように見える
そんなにひどくないし眠かったので、そのまま御堂筋のネットカフェに
ビリヤード場で黒人の女性と少し話す
だが A には部屋が狭い、ということで仕方なく神戸の相方の家に移動した
買ったばかりの青いサンダルを忘れる
8/28 A 宅に荷物を置いて、しばらく泊まらせてもらうことになる。
8/29 少し回復まだA宅アニメを見たりパソコンを使ったり絵を描いたり
考えてもいないことを話し出す
わけがわからないのに声が出る
憑依された感じ
「あなた誰ですか!?」
合間に言ってた
傍から見たら怖かったと思うけど、私も怖かった
夢遊病みたいなこともしたらしい
9/2 生きるのがしんどくなってきた
9/3 実家に帰りお土産を分類したり荷物整理をしていた
9/7 実家 アニメを見て絵を描いている
Aは同人の相方で10年前にルームシェアをしていた相方で、私の病気に関して家族よりは詳しい生まれつきアレルギーや喘息、歯が悪く起立性蛋白尿などよく病気になる子だったしかし登山や運動や合唱を趣味としていたかおかげか、基礎体力も筋力もかなり鍛えられていた臨時というものへの知的好奇心と、遺すものへの責任感と、ろくでもなかった人生のまま死にたくない、という意地でなんとか踏みとどまれた気がする
しかし踏みとどまっただけ
2016/9/20 熱中症の後遺症の記事に突き当たり、あったこと記憶してる限り書き留めた
まずここにある痛みや感覚異常が、非常に不快
筋肉痛などは治癒したが、神経内科で脳症だと指摘された
たしかにおかしい
翌年
2017年3月
後遺症で入院する