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隣の部署(小説)

小さなオフィスビルのワンフロアには、二つの部署があった。片方は、爽やかで穏やかな「完璧な会話」が求められる部署。もう片方は、見た目は厳しいが温かみのある「ヤクザまがい」の部長が率いる部署である。

まず、爽やかな部署

「みんな、おはよう。」腹の出た部長が、軽く酒臭い息を漏らしながらにこやかに挨拶する。社員たちは自分たちの業績が悪化していることには目をつむり、微笑みを返す。
「最近、天気がいいですね。」
またもや無難な話題。数字が赤字に染まっているにも関わらず、誰もそのことを口にしない。プロジェクトは順調ですか? という部長の質問に対しても、皆は「問題ありません」と軽く返すだけだ。
「健康が一番ですからね。無理しないように。」
部長は相変わらずの無難なコメントをする。だが、目の前にあるプレゼン資料には、赤字の報告がびっしりと書かれていた。社員たちは何事もないように、それを受け流す。
その時、壁越しに隣の部署から轟音が聞こえてきた。

次に、ヤクザな部署

「おい!このバカ野郎!何回言ったらわかんだ!でも、まあよくやったな!次はもっと上を目指せよ!」
ヤクザまがいの風貌をしているが、マッチョで日焼けしていて健康そのものの隣の部長、黒田が部下を叱咤している。しかし、その声にはどこか温かみがある。
「すみません、部長!次は必ず!」部下が勢いよく返事をする。黒田はその部下の肩をがっしりと叩き、にんまり笑った。
「そうだ、それでこそ俺の部下だ。次も期待してるぜ!」
黒田の激しい言葉とは裏腹に、その部署は成績がうなぎのぼりだった。毎月、目標を達成し、利益は急増。彼らはミスをすれば叱られるが、それ以上に励まされ、成長していく。

部下

一方、爽やかな部署では、赤字が続いているのにもかかわらず、誰一人として問題を指摘しない。部長は毎日「健康第一、メンタルケアが大事です」と言いながら、無難な会話を続ける。
「おい、聞こえるか?隣の黒田さんの声。部下を叱ってるのに、なんか楽しそうだな。」
高橋が隣の部署の声に耳を傾けながら言った。
「うん、なんか違うよね、うちの雰囲気と。あっちは荒っぽいけど、チームワーク良さそうだし、結果も出してるしさ…」佐藤がぼそりと返す。
その瞬間、ふたりはふと考えた。どちらが本当にいい環境なんだろう?
だが、考えるのはそこまでだ。次の瞬間、また部長が爽やかに声をかける。「さあ、次のミーティングに行こうか。元気よくね!」

出世

時は流れ、会社では昇進昇格の時期が訪れた。社員たちは、噂話に花を咲かせていた。
「次の本部長、黒田さんじゃないか?業績もすごいし、あの厳しい指導で部下も成長してるし。」
高橋が自席で囁くように言った。
「いや、案外、うちの部長かもよ?なんだかんだで本部長に好かれてるみたいだし、何も問題起こしてないからね。」佐藤が返す。高橋はそれを聞いて内心複雑な気持ちになった。業績が悪いにもかかわらず、部長はいつも本部長の機嫌を伺い、無難な会話を続けてきた。
そして昇進発表の日がやってきた。全社員が集まる会議室。期待と緊張が入り混じる中、重々しい空気が漂う。
「次期本部長に任命されるのは…」
重役の声が響く。
「山田部長です。」
静寂が会議室を支配した。しばらくして、拍手がぱらぱらと始まる。高橋は一瞬耳を疑った。本当に山田部長が…?
腹が出ていて、髪型も微妙な山田がゆっくり立ち上がり、淡々とした笑顔を見せる。
「皆さん、ありがとうございます。これからも、健康第一で頑張っていきましょう。」
酒臭い息をわずかに漏らしながら、彼は会場に向かって微笑んだ。
その時、ふと視線が隣の黒田に向かった。ヤクザまがいの風貌の彼は微動だにしない。いつもと変わらず、黙って座っている。業績は誰よりも優れているにもかかわらず、彼は昇進しなかったのだ。

襲う現実

「おかしいだろう…」高橋は心の中でつぶやく。
会議が終わり、社員たちは席を立ち始めた。黒田の部下たちは、気まずそうにその場を後にする。高橋も自席に戻ろうとしたが、ふと黒田の姿が気になり、彼の元へ足を運んだ。
「黒田さん、なんで…」
高橋は口を開いたが、黒田はそれを遮るように言った。
「いいんだよ、別に。俺はこういう仕事が好きなんだ。出世は興味ない。」
黒田は短く笑い、部下たちに向かって歩き出す。彼の背中には、どこか満足したような、そして少し寂しそうな影が見えた。

その夜、高橋は考え込んでいた。
自分の生き方はこれでいいのだろうか?
山田部長のように、上手く立ち回って、何も波風を立てずに出世することがサラリーマンの成功なのか?それとも、黒田のように厳しくも真剣に向き合い、チームと共に成長していく道を選ぶべきなのか?
翌日、再び無難な会話がオフィスに漂っていた。だが、高橋の心には、前日からの違和感がずっと残っていた。爽やかな言葉に包まれたこの部署で、本当に自分は幸せなのだろうか?
模索する日々は、これからも続くのだろう。


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