銀座にあった会社で過ごした「意味のない」日々の意味
だいたいねえ、意味なんてないですよね。そう、タイパとかコスパとか、そんなのないのよ。
新卒で入った製薬会社の支店は、あの煌びやかな銀座にありました。今振り返ると、あの頃の時間の流れはとてもゆったりしていて、今の若い世代にはとても信じられないような「意味のない」日常が広がっていました。
朝からおっさんたちはチームを組んで、何やら意味のない会議を開きます。話題がいつもどこかで堂々巡りしていて、これが一体何のためになるのか、当時の私にはさっぱり分かりませんでした。それでも会議が終わると、みんなで一緒にランチに行くのが習わしでした。豪勢な鰻屋へ行き、鰻重の松、竹、梅のメニューが並ぶ中、意味なく「松」を選んでゴチになる。腹がパンパンになって、眠気に襲われながらも、午後の業務に戻ります。
午後のひとときは、まるで時間が止まったかのよう。おっさんたちは椅子に胡座をかいて、新聞を隅々まで読み漁ります。ときおり、意味なく誰かに電話をかけて大声で笑い、社内にいる女性社員から入れてもらったお茶をすすりながら、また意味のない雑談が続きます。やがて17:00頃になると、またしても「さて、飲みに行くか!」とおっさんたちが声をかけ、再び銀座の飲み屋でゴチになるあの頃。😅
今となっては、あの頃通っていた鰻屋の多くが廃業したり、外国人インバウンド向けの手軽な業態に変わったりしていますが、当時は威厳を保ち、上司も女将さんに名前で呼ばれるほど顔なじみでした。満足そうに食事を終え、夜の店でも常連扱いされ、気分よく過ごしていたものです。そんな様子を見て、私たち若手も「いつかはああいう立場になりたい」と憧れたものです。実際、こうした何気ないやり取りが街の飲食店を発展させていたのです。
今の時代、こういった「意味のない」行動は、効率が悪い、無駄だと言われがちです。確かに、現代のビジネスシーンではコスパやタイパが重要視され、無駄な時間を過ごす余裕なんてないのかもしれません。しかし、私は思うんです。そんな「意味のない」日々が実は、街を栄えさせ、私たち日本人の得意とする団結力や決断力を育んだのではないか、と。
あの時代には、効率や数字では計り知れない「豊かさ」がありました。おっさんたちの無駄話の中には、会社の歴史や文化、そして人との絆が詰まっていました。それが、チームの団結力を高め、街の活気を生み出し、結果として日本社会を支える力となったのではないでしょうか。コスパやタイパを追い求める現代をどこか味気なく感じるのは、もしかしたら若い方々も同じかもしれません。決して、年を取ったからそう感じるわけではないと思うのです。🍶✨
現代は確かに便利でスピーディーですが、あの頃の「意味のない」豊かさを少しでも見直してみるのも悪くないのかもしれません。