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数分の長い出会い

いつもの彼女が居る。

大手チェーンのコーヒーショップで、僕は毎日のようにヴェンティサイズを注文する常連だった。若くて元気な女性店員さんは、僕のことを覚えていて、毎日、キラキラした瞳とチアフルな笑顔で接客してくれる。それが、何とも言えない小さな幸せだった。

もう昔の話。転勤で数年間住んだ、西日本の地方の都市。国道沿いに、ドライブスルーのショップがある。注文する。窓口から、いつもの彼女がコーヒーを渡してくれる。

数分のやり取りだが、激務で疲れた僕にとって、それは心を洗ってくれる時間だった。もちろん、名前も知らない。それで良かった。

ところが、ある日、そのルーティーンが崩れた。

いつものようにヴェンティを注文したが、彼女の瞳はくすんでいて、笑顔は消えていた。若い女性なら、そんな日もあるだろう。そう思ってお釣りを受け取り、立ち去ろうとしたその瞬間、彼女がポツリと呟いた。

「彼氏が札幌に転勤になるの。」

「え?」

突然の告白に戸惑ったが、列ができているし、それ以上話すこともできず、僕は返事をした。

「どのくらい付き合ってるの?」

「3年。」

「長いな…」

「一緒に行こうって、言ってくれるよね?」

そのまま「頑張ってね」と流せば良かったのに、僕は余計なことを考えてしまった。彼女のために何か言ってやりたい、でも、そんなの無理だ、そう考えるうちに、つい出てしまった言葉。

「別れちゃえば?」

自分で言った瞬間、爆速で後悔した。全く関係ない僕が、そんなことを言うべきじゃなかった。でも、いつも元気づけてくれる彼女に、何か助言したくなってしまったのだ。

後ろの客が気になって、その場を離れた。彼女が、次の客に対応しながら呆然としている姿が、サイドミラー越しに見えた。

数日後、またその店に行ったが、彼女の姿はなかった。それから何度か通ったが、もう二度と彼女を見かけることはなかった。そして僕も転職して、あの店に行くことはなくなった。

たまに、思い出す。なんだか、もやもやした時に。今でも。長っ。

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