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不器用だけど、抱きしめてみる

大人になった今、思うこと。

幼かった私は、本当に愛情に飢えていた。

当時はそんなこと思ったことなかったけど。
大人になって、ネットや書籍から知識が増えていくにつれ、私は当たり前の愛情を受けていなかったのかもしれないと、感じるようになってきた。

私が言う、当たり前の愛情。
それは、母親に抱きしめてもらうこと。
きっと、生まれたばかりの頃はやってもらっていたに違いない。

だけど、自分の記憶に残っていないのだ。


私の両親は、私が2歳になる前に離婚している。
そして、父に引き取られたから、母の記憶はない。

父のことは大好きだった。でも、父親というものは、いつも一緒にいるわけではない。やっぱり母親とは違う。
大好きだった父は、いつも家にいなかった。仕事も忙しかったんだろうけど、きっと、休みの日には自分の時間を楽しんでいたんだろうと、今になって思う。

私には、仕事だと言って優しい嘘をつき、自分を満たしていたんだろうな。
そんな父を恨んではいない。だって、病気に負けて私を残して死んでしまった無念な人だから。私に嘘をついて、私と一緒にいてくれなかったことよりも、私を残して自分だけ先に逝ってしまったことを、少しだけ恨んでいるけれど。

父が死んで、離れて暮らす母に会いに行く機会はいくらでもあった。
母とは、いつも手紙のやり取りはしていた。その手紙の最後には毎回「いつでも遊びに来てね」と書かれていた。
だけど、しばらく母に会いに行こうとはしなかった。

やっと決心がつき、初めて母に会いに行くことにしたのは、小学6年生の冬だった。父が死んでから4年半が経っていた。
顔も分からない母に会いに行くために、昔のアルバムを見ながら、母の顔を想像する。自分がどんな服装で行くかをイラスト付きで手紙に書いた。グレーのチェックのキュロットスカートに黒いタイツを合わせ、レモンイエローのブルゾンを羽織った。当時の一番お気に入りの格好だ。

母の住んでいる街は、私の住んでいるところから電車で数駅のところだった。
近かったけど、当時の私には異国のように遠く感じていた。
母は駅のホームまで迎えに来てくれていた。
母のほうが先に気付く。私を探すような素振りはなく、電車から降りた瞬間に大きく手を振ってくれていた。
別れてから10年経っていたけれど、母は私だとすぐに分かった。

母は、駅から歩く間ずっと私と腕を組んで歩いた。私は少し…いや、ものすごく恥ずかしかった。やめてくれと思った。こんな大きな子と腕を組んで密着して歩くなんて、ちょっとおかしい親子だと、周りから思われるじゃないか、と思っていた。

友達には、お母さんがいることは当たり前。

でも、私にはいない。
けど、それも当たり前だから、別に寂しいとは思ったことはなかった。
だけど、
私にもお母さんがいたらな…と、友達のお母さんをみて羨ましい気持ちになったことがないかと言えば嘘になる。

やっと、私のお母さんに会えた。
どんな人か分かった。
私にだって、お母さんはいるんだ。

嬉しかったはずなのに、なんでこの人は、私が恥ずかしい思いをするような行動をしてくるのか。

こんなお母さんなら嫌だ。

もし、今日このまま家に帰らせてもらえなかったらどうしよう…
一抹の不安がよぎっていたほどだ。


当時の私に、あれは、10年間私に触れることができず愛情をしめすことが出来なかった母が、やっと会えた私に注いでくれた、10年分の最大の愛情だったということを理解出来るわけがない。

自分が今、親になって分かること。
親は、特に母親は、子どもに触れたい。
抱きしめたいのだ。

いくつになっても、子どもにはずっと触れていたいし、ずっと抱きしめていたい。
親も、子どもから愛情をもらう。
抱きしめることで、最大の愛情をもらう

母の愛情を、素直に受け止めることが出来ず、
母の愛情がどういう感覚なのかということも分からない私が、自分の子どもにどう愛情を伝えればいいのか分からない。


だけど、
言葉ではうまく言えなくても、私はいつも抱きしめる。

今日も、中学生の息子を抱きしめた。
毎日抱きしめる。



#自分語りは楽しいぞ


今回は、みくまゆたんさんのこちらの企画に参加させていただきました。

はじめまして🩵
よろしくお願いいたします。

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