私が目指す、私の最終形態とは
毎週末、私がいそしんでいること。
それは、片付けである。
断捨離が流行ったとき、
こんまりさんが流行ったとき、
ミニマリストという概念ができたとき…
いつだって私は興味を持って、それなりに取り組んでいたのである。
断捨離は、自分でもびっくりするくらい潔くモノを捨てられた。
昔から、なかなか捨てられないタイプだと思っていたのだが、違った。
あの頃、自分の部屋の押し入れのモノから着手したのは間違いだった。
思い出系のものは、途中で手が止まってしまう。
昔の日記や手紙、写真などがどんどん出てくる。
つい見入ってしまって、思い出にふける。そして、前よりも散らかった状態に陥るのであった。
面白いのは、
こんなにも長い期間、どうしても捨てられないと取っておいたものでも、捨ててしまえば一瞬でその存在を忘れているのである。
仲の良かった友達からもらった大事なお手紙やお土産も、一瞬で内容も忘れたし、その存在すら忘れた。
そして、当然のことながら、「いつか使うかも」と取っておいた、その「いつか」は来なかったし、いまだに来ていないし、それがなくてもなんら問題なく日常生活が送れている。
今、私がこんなに毎週楽しみに片付けをしているのは、何がきっかけだったのかも忘れた。
でも、モノがなくなってスッキリした空間って実に快適だ。
先日は、食器棚を整理してみた。
収納するのに、形の違う食器も重ねていた。
もちろん、取り出しにくいし片付けにくかった。
それを、同じ形の食器ばかりを重ねるようにした。
いくつもあったタッパーも処分。箸やプラスプーンなんかも処分。
それらを処分してから数日経つが、なんら困っていないし、むしろ快適。
収納を考えたら、収納するための棚が欲しくなってくるものだが、それすらも不要なモノとなってしまう可能性がある。
週末がやってくるたびに、モノを捨てて片付けをするので、そりゃだんだん快適になってくる。
あとやりたいことは、掃除である。
こんなにモノがたくさんあって、掃除はしっかり出来ているわけがない。
見て見ぬふり。
冬場の結露を、もう何年も放置していた窓。
これ、ちょっと水拭きすればキレイになるのである。
ただ、あのゴムの部分の黒カビは手強い。
ほら、あの黒カビね。
強力な塩素系でやっつけるしかないな。
部屋の隅やテレビの裏、なんだかんだの配線の類のところはホコリだらけ。
リビングには、髪の毛だけじゃない短い毛(←陰毛な)や、なぜか砂ぼこりまで。
手触りがザラザラ。
正真正銘な汚部屋でしょ?
こんな部屋で生活しておりました。
モノに囲まれて、毛や埃に囲まれて、ある意味免疫は育っている。だから健康。(そっち?)
そんな汚部屋ならぬ、汚家?から抜け出したく、
まずモノを捨てることからやっている。
モノがなくなると、掃除もしやすくなる。
キレイをキープしたいのよ。
だから、こういうのが好循環だよね。
私が目指す最終形態はミニマリスト。
ミニマリストの方々の時間って、実にゆったり流れていませんか。
私の時間の流れより、ぜったい緩やかだと思ってる。
そんなわけないのはわかってるけどさ。ごめん。
でも、ゆとりを感じる。時間にまでゆとりを感じる。
丁寧に暮らしている。
私は、
自分の心と、時間と、お金にゆとりが欲しい。
それが叶うように、
今週もせっせと片付けにいそしむのである。