あなたはあなたらしく。わたしはわたしらしく。
「なんとなく違う」
実はそう思っていた。
「みんなと違う」
それだけでなぜか苦しくなる自分が情けなかった。
理由なら分かっていた。
このもやもやの正体。ずっと感じていた違和感。
「社会人が楽しい」
ということ。
SNSで「社会人が一番楽しい」の文字を見るたびに、そんなことはないと分かっていても、どこか私の社会人生活を否定されている気がしていた。
誰も、否定なんてしていないのに。
一人で勝手に窮屈な世界へと逃げ込んでいた。
「社会人を楽しめていないわたし」を負け犬のように感じていた。
それが苦しさの正体。
誰かと比べる必要なんてないのに、誰かと比べて情けないと思っていた自分。
きらきらした楽しい社会人を目指していたはずなのに、だんだんとその理想と乖離していく、そんな自分をなかなか認められずにいた。
でも、ふと、気付いてしまった。
そうやってわたしを苦しめていたのは、他でもない、そんな自分を認められずにいた自分自身だったということに。
きっともうすぐTwitterのタイムラインを彩るであろう、
「春から社会人になるみんな」へむけたつぶやき。
「社会人が人生で一番楽しい」
「今が一番遊んでいる」
そんなつぶやきを見て、弱いわたしはきっと少し引け目を感じてしまうけれども、
自分はそうじゃないなんて落ち込まなくていい。
別に、みんながみんな「きらきらとした社会人」でなくていい。
「社会人が人生で一番楽しい」「学生よりも社会人の方が楽しい」そう思えなくてもいい。
会社の飲み会を最高に楽しい時間だと思ってもいいし
仕事が楽しいなら死なない程度に残業すればいい。
休日に会社の人と遊んだっていいし
一人の時間がほしいからって家にとじこもってもいい。
社会人が1ミリも楽しくないとは言わない。
時々おじさんたちが「社会人になると遊べなくなる」「社会人なんて楽しくない」と脅してくる、そう言うことが言いたいんじゃない。
楽しくない人がいてもいいし、そういう人は後ろめたく思う必要は全くないよってこと。
楽しい人が勝ち組でもなければ、楽しくない人が負け組でもない。
いい意味で、他人と一本線を引く。
あなたはあなた、わたしはわたし。
そうやって、自分の人生を、他人の人生と混在せずに、しっかりと自分の足で歩いていく。
あなたはあなたらしく。
わたしはわたしらしく。
ほかの誰のためでもない、わたしのための人生を、これからは自分の幸せのために生きていく。